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もう一つの物置きからの声

著者:パメラ・スピロ・ワグナー  訳者:林 建郎
私は物置きの中で暮らしている。けれども普通の物置きとちがって、それを眼で見ることはできない。私以外には誰もそれを見ることも、触ることもできない。まして中に入って、そこで私と一緒に過ごすこともできない。けれどもその牢屋のような壁と恐ろしい暗闇は、私にとって現実のものなのだ。

この「物置き」とは、統合失調症のことである。とても重い精神疾患で、最近の専門家のあいだでは、神経生物学的障害の一つと呼ばれることもある。成人してからの長い時間を、私は統合失調症患者として過ごしてきた。この病に治療はあっても、未だに完治を可能にする方法はない。

統合失調症の徴候は突然現れることがある。しかし多くの場合、その発病は私の例のように緩やかで潜伏性のものだ。子供の頃にはまだ発病していなかったが、今から考えれば幼年時代の私の経験には、すでに疾患の前駆症状的な側面が見られた。例えば、苦痛をともなう過敏症は幼児期それも幼稚園児の頃すでに現れていた。貨幣の使い方を学ぶための「遊戯用のお金」に触ることへの恐怖心、そしておやつに食べる全粒クラッカーやりんごジュースへの嫌悪感が余りに強く、私は物置きの中へ隠れてそれを避けていた。その数年後には、飼い犬を毎晩散歩に連れて歩くとき、消火栓は小人の尼僧に姿を変えて、私に聖セバスチャンのお告げ-いずれは私も殉教者として死ぬ運命にあること-を伝えてくれた。高校生の頃にはこの傾向がますます激しくなって、もはやそれを隠しておくことはできなくなった。私は成績の良い生徒で、成績表にはAやBが多かったが、この時期は唖者同然に黙りとおして生活していた。このことと、喋りかけられても視線をまっすぐ向けたままでいる癖とがあいまって、数名の生徒からは「ゾンビ(気味の悪い奴)」というあだ名で呼ばれるようになった。

大学生活は私にとって大きなストレスとなり、妄想をともなうようになった。最初のうちはこの経験も、多少は愉快なものだった。誰もが私のことを考え、噂していることが自分には「分かって」いたし、それはどちらかといえば好意的なもので、むしろ私に現実感を与えてくれていた。しかしやがて妄想には劇的な変化が現れ、近所の薬剤師が私の頭の中に彼の思考を書き込み、私の思考を盗んで不要なものを買わせようとしていると考えるようになった。この極めて危険な放射線を避ける唯一の方法は、彼の薬局の周囲を直径1マイルの円を描いて歩き回ることだった。しかしそれでも恐怖心は去らず、私は危険な状態にあった。恐怖心に圧倒され、大学のソーシャルワーカーにもこの経験を話すことができずにいた私は、薬を大量に服用した。それは本気で企図した自殺ではなく、助けを呼ぶ叫びだった。その後の5ヶ月間を私は入院して過ごした。

2度の入院にもかかわらず、私はブラウン大学を優等学生友愛会員として卒業し、コネティカット医科大へと進学した。しかしその約1年後、私の機能は停止した。この頃になると声が聞こえはじめ、あるときは私を「同性愛者」と呼び、またある時は「悪魔の売春婦」などと呼んでなじり始めた。その上、患者に触れると、まるで自分が感電したかのような反応を示すようになった。他の医学生たちが私の心の中を読み取って馬鹿にしていると思うと、講義に出席することが苦痛に感ぜられた。問題が明らかになるにつれ、学校側は私が在籍する条件に、精神科医による診察を求めてきた。しかし私は自分の問題をとても恥ずかしいことと考え、笑われたり軽蔑されたあげく学校から追い出されるのではないかと恐れていた。とてもセラピストに告白することなどできなかったのだ。

ユダヤ教やキリスト教の教義にはほとんどとらわれない、ユニテリアン派の信者として私は育てられたが、宗教には常に強い興味を持っていた。私は、日常世界を誤って解釈し、超自然的で大きな意味を些事に求めていた。自分は悪い人間で、悪魔の申し子であると思いこんでいた。そして今日に至るまで、自分がケネディ大統領暗殺事件やその他の国際的大惨事に、まったく無関係で責任がないとは思えないのだ。事実、ケネディ大統領の暗殺から25年目にあたる日、私はそれが原因で再入院した。またあるときなどは、1冊の本に夢中になったあまり、ニューヨークを経由してフロリダまで有り金をはたいて旅をした。その本が私にそう命令したと信じていたからである。

かつてそうであったように、服薬を守っている今でも、何でもない言葉に私は敏感に反応してしまう。「やあ」とか「ご機嫌はいかがですか」などにも、強迫的な、あるいはとてつもなく大きな意味を感じる。周囲には誰もいないのに、残酷で乱暴な声が私の日常生活を詳細にとめどなく報告し続けるのだ。ラジオから放送されるDJの語り、音楽、そして広告なども、自分への伝言が含まれているため、聴いていることができない。

詩人のエミリー・ディッキンソンは、統合失調症患者ではなかったが、彼女の詩のいくつかに、この疾患の側面を本能的に理解していると思われる言葉が登場する。

そして何か奇妙なことがこの中に―
私が―
そしてこれは―同じには感じることができない―

若い頃すでに、自分には何か非常にまずいことが起こりつつあること、つまりその経験を言葉で言い表すことはできない「何か奇妙なこと」が自分の中にあることに、私は気が付いていた。そして重篤な精神病エピソードによるより顕症期症状が治まった時ですら、奇妙な非現実性がすべてを捉えて放さなかった。「理性は燃焼し光り輝いているが、ちょうど手が届かないところにある」―私は自分の詩の中にこう書いている。

まだ症状は残っているが、薬剤反応を抑えるために僅かな期間入院したのを除き、過去1年間私は入院していない。こうして1日が過ぎてゆくごとに、私が目標としている、病院とは完全に無縁な日々に近づくのである。42歳になった今、私はゆっくりとではあるが、自分が快方に向いつつあると思い、あるいはまだ残っている障害への対処の仕方がうまくなったように思う。今までで最も強く、自分の中に力強さと安定を感じている。具合の悪い日(文章が書けず、一字も読むことができない日)は稀になり、作文に集中できる、具合の良い日が多くなった。事実、最近上梓した私の記事は、ハートフォード・クーロン誌に掲載されたし、1993年に発表した作品では、コネティカット州精神健康メディア賞という、プロフェッショナル・ジャーナリストを対象とした賞を戴いた。長い間、人生と苦闘してきた自分をプロフェッショナルとは素直に呼べないし、ましてジャーナリストとなると尚更である。しかしこれも一つの真実なのだ。そして、自分の本が出版されることになって、私は何がしかの印税を手にすることができた。ずっと作家になることを夢見てきた自分にとって、これは望外の幸せである。

もし、自分の辿った経過が他に比べて優れていたとすれば、その原因はどこにあって、何が自分に力をかしてくれたのだろう。病からの回復に貢献してくれた要因を、一つに絞ることはできないと思う。関与した多くの事柄が影響しあっているからだ。薬物療法は確かに重要な役割を果たしたが、治療薬だけが私をここまで引き上げてくれたのではない。私を担当してくれたセラピスト―クリニックの看護臨床医(Nurse Clinician)―の力添えで、効果的な投薬計画を実現することができた。しかし私にとっては、週に1回彼女に会うということ自体が、日々の生活へのより良い対処法と機能の改善を実現する上で、大きな支えとなったのである。ケースマネージャーの助けを借りた時期もあったが、この数年経過が良好なので、最近は彼女の介護も必要としない。ハートフォード訪問看護師健康管理協会からも、定期的に自宅へ看護師を派遣してもらい、多大な支援を戴いている。クリニックへ出向いての診察とはちがって、訪問看護師は私の精神状態をより詳細に観察することが可能だ。

薬物療法、精神療法、ケースマネージャーとの相談、そして訪問看護師によるケア―これらすべてが相乗効果を発揮して、現在の私の回復を支える上で重要な役割を果たしている。時間という要因、つまりこの状態でこれだけ長い時間人生を送っているという事実も、要因の一つに違いないと思う。自分の症状への対処の仕方は、時の経過とともに容易になり、症状も少しずつ減って行った。まだ問題となる症状は残っているものの、機能は以前に比べ改善された。自分は今幸せだと思う。しかしその因果関係はわからない。いずれにせよ私は、統合失調症に罹患した人生においても、満足を感じることは可能であり、その診断が必ずしも終わりのない精神的苦痛に満ちた人生を強いるものではないということの生きた証人である。患者に限らず、その家族や友人も等しく希望を持つことが必要なのだ。

現在米国議会で審議中の法案に関しては、まだまだ不充分なものといわざるを得ない。現在の神経生物学的障害に対する一般大衆の態度と、その結果として生ずる恥辱を考えると、こうした障害が、実在感も真実性もなく捉えられ、罹患は患者の落ち度であるかのように考えることが、患者を不利な立場に追い込んでいる現状を、クリントン大統領の掲げる医療改革が大きく変えるとは思わない。

もし誰かが酒酔い運転で事故を起こせば、その人物は治療費や慰謝料の支払いを拒むことはできないであろう。神経生物学的疾患においてもこれはまったく同じなのだ。関節炎、糖尿病、心臓疾患同様、その罹患は患者の落ち度によるものではない。そして他の疾患同様に、患者の慢性的無能力化が結果的に惹き起されるのである。

私たちはこれ以上犠牲者を責めるべきではない。他の疾患と異なり、神経生物学的障害あるいは精神疾患が、道徳上の欠点や善悪に関連する病などと想定すべきではない。この疾患が他の疾患と違うところなどないのだ。私たちは研究予算枠をより拡大し、さらに有効な介入と治療を可能にして、神経生物学的障害者が人生を無駄に終わらせることがないよう、そして適度に幸せで生産的な生活を送れるよう、努めるべきである。

  統合失調症は、多くの人々にとって恐怖に満ちた地図のない幽冥界である。彼らは、苦悩や苦痛そして奇異さに苛まれる患者と手を携えて、それを回避する方法を模索しているのだ。かつて患者たちは精神病院の閉鎖病棟に隔離されていた。そして今日の彼らは貧困の匿名性と無力に委ねられ、忘れ去られているだけなのである。

私は物置きで暮らすことを自分の意志から選択したのではない。誰がそんなことを望むだろう。自分の物置きに隠れて暮らす他の少数派の人々同様、私たち統合失調症患者は秘密の暗黒にひどく悩まされている。私たちとて、他の人々とおなじように、受けいれてもらうことによる光明と新鮮な空気を必要としている。ないがしろには扱って欲しくないのだ。

私たちは、周囲の人々の支援と理解なしに、ひとりでは暮らせない。そして私たちへの支援と理解は、求めても常に得られるものとは限らない。私たちを閉じ込める物置きの存在にもかかわらず、何百万人にも及ぶ私たちの仲間が、社会の中で共存している。支援と励ましがあって、初めて私たちは物置きの扉を打ち破ることができるのだ。
筆者について

Pamela Spiro Wagnerは、コネティカット州ウェザーズフィールド在住のフリーの文筆家。


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