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うつ病をともなう統合失調症患者の洞察

著者:クリス・L・フレシュナー
私が今までに会話を交わした精神障害者のほぼ全員が、自分が発症した日付を記憶している。より正確にいえば、症状がひどく悪化して自分が機能しなくなった日を記憶しているのだ。1987年7月頃の私は、自省の傾向が強く、聖書、それもヨハネの黙示録に傾倒していた。それまでに聖書を深く研究したことはなかったが、自分の人生が終わりに近づきつつあると感じていた私にとって、黙示録以上にふさわしい読み物はなかった。その当時は、いかなる合理的理解も超越して、神秘主義を伴って精神的満足感をもたらす、まったく新たな現実と向き合っていた。実際に自分はそれを経験したが、同時に恐怖と地獄のような苦悩も経験した。それはすべて疾患のせいであった。  この聖書研究と断食の期間に、私は初めて幻覚を伴うトラウマ感を経験した。当時はそれを、邪悪なものと考えていた。私は、人間が、肉体や思考そして精神を身体から身体へと転送させることができると考えていたのだ。しかし実際には、それはもっと複雑なものであった。この転送が生じると、私には転送元の人間が「見える」のだ。例えば、AさんがBさんに心を転送させると、「現実」にはBさんが物理的実体として眼前にあるにもかかわらず、Aさんがそこに「見える」のである。私にはその両方が見えた(すなわち幻覚)。この心の切り替えゆえに、ごまかしが生じる。現実に私がそこに見ていたのは、同僚の姿に過ぎないのだ。  その週の終わりだったと思うが、より深刻な妄想が始まった。私は、オンラインのシステムプログラムに、他のプログラムをコピーする仕事をまかされていた。業務の統合化と甚大な損失を防ぐため、この権限は私一人にだけ与えられていた。オンラインの転送は木曜日の夜に行われるため、金曜日は通常かなりストレスがたまる日だった。新たに更新されたプログラムが、その翌朝に問題を生じがちだからである。誤作動したプログラムは、作業用プログラムに「ダイナミック・ロード」する必要がある。ある金曜日の晩、私は世界の終わりが近いと考えていた。そして「生命の書」(黙示録 20:12)に名を留めたいプログラマーが生き残るには、私の手を経なければならなかった。さもなければ彼らにとって残された道は生の終焉であったのだろうか?私にはわからない。その経験はとても真実味をおびていた。まるで自分が多くの人々の生命を左右する悪魔か救世主であるかのように感じた。私のキー入力によるコンピューターの作動で、彼らの運命が決定されるかのように思えた。マイクロフィルムが保管されているはずのファイル棚には、いままですべての人々が残したあらゆる思想と声明が転記された書類がファイルされ、それは各人の救済を審判するために必要な「品物」と、私は考えていた。それは、慈悲深い審判などではなく、金融会社の腐敗に満ちていた。「上層部のお偉方」は、犯罪性のある、自らの信用を傷つけるような記録を改ざんすることが可能なのだ。

それが現実には起こっていないと否定し、殺害にはまったく自分が関知していないと考えることによって、私は(ダイナミック・ロードによる)殺害の概念と折り合いをつけていた。まるで自分が、チェスの試合で人類を相手に巨大な騙し合いを演ずる一介のポーン(歩兵)のように感じていた。これらのすべてが私にとっては現実感溢れる経験だった。それは恐怖に満ちた体験だった。今はしかし、その原因が、当時診断されずにいた精神疾患によるものだったと私には理解できる。

当時はしばしば妄想で涙を流すことがあり、上司から精神科医の診察をすすめられた。診察を受けには行ったが、その頃には症状が悪化して、妄想が自分の想像の産物だとは考えられなくなっていった。セラピストが私の利益を最優先に考えているとはとても思えなかったし、彼は、さきに触れた「知識と審判」の腐敗した組織の一員と私は考えていた。セラピストを信じることは、精神健康を確立する上では必要不可欠である。

こうした考えによって衰弱した私は、勤務していた会社を退職することにした。しかしこの不幸な決断で、運悪く障害手当ての支給まで打ち切られてしまった。その後、学士号取得を目標に勉学を再開し、病気と闘いながらウィチタ州立大学へ通ったが、最初の1学期を修了することができなかった。結局オクラホマの両親が、私を引き取りに駆けつけてくれた。私は診療所で診察を受け、生涯で2度目の精神科治療を受けることになった。まず精神科医による談話療法を受け、次に治療薬を処方する部屋へ案内された。そこで私にとって最初の薬となった、メラリル(訳注:チオリダジンの商品名)を医師から処方された。その後、ある「友人」から電話があり、どこか具合が悪いのかと聞かれたので、メラリルをのんでいると答えた。するとマリファナ常用者の彼は、面白半分に私が薬をやっているものと勘違いして笑い出した。それ以来彼とは絶交している。薬物乱用者とは、交際すべきではない。

私のかかえる障害を、だれも容易には理解できないだろう。その障害のせいで、私は長期間の勤務に耐えられないのだ。場合によっては、抽象的なアプリケーションプログラムの作成に病気が役立つこともある。しかし抽象的思考や創造性などよりも、むしろ精神的安定、感受性、気力を私は望む。

先日弟は私に
「兄貴はとても創造力があるよ」
といった。そして病気に対する一般の理解を深めるためにも、自分の病気のことを本に書いてはどうかと勧めてくれた。この病気が私の想像力を高めてくれたことは確かだ。しかし同時にそれはゾッとするほど恐怖に満ちていて、私をしばしば困らせた。この精神病は、放っておいては治りそうもない。これは慢性疾患で、身体的ではなく精神的な合併症を伴う。例えばある臓器に病変が生じると、他の身体部位に合併症が現れることがある。精神が障害された場合には、意識または潜在意識に浸透する「考え」が増大を続け、虚偽の確信を生むのだ。

過去に経験した妄想が、どれほど現実感あふれ、恐怖心に満ちたものかを理解してもらうために、そのいくつかを紹介しよう。それは、TVで見たクリントン大統領のサムズアップ(訳注:親指を立てて賛意を表す)、犬に噛まれた親指、そして甥がジャガイモを呑み込みそこねた時の母の笑い、である。今の私には、これら過去の妄想が現実のものではなく、薬物療法で安定しつつある状態が生み出したものだということが理解できる。

クリントンのサムズアップは、州知事選挙の時の経験が原因だ。当時私は、クリントンに投票すべきか、ペローにすべきか迷っていた。投票日の朝、投票所へ向かう車の中で、私はクリントンを選ぶことに決めた(クリントンに入れることは、それまでにほぼ決まっていたが)。投票所へ行ってみると、投票は機械式ではなく用紙による記入投票であった。投票用紙への記入要領について選挙管理事務員から説明を受けた時、私には彼が
「用紙の右下に頭文字で署名するように」
と言ったように聞こえた。投票は無記名のはずだから、なぜ投票用紙に署名しなければならないのかを私はいぶかった。そしてすぐに、私の投票だけが1992年の大統領選挙の勝敗を左右するのではないかと疑った(事実、投票用紙には表に頭文字の署名があったが、それは用紙の表を下にして投票箱に入れるための印だった)。それからしばらくして、職場の連中に「死刑判決」を下す(コンピューター事件)ことを考え始めたが、私にはクリントンが、「悪の帝国」を含むすべての権力構造を支配する親玉に思えた。しばらくして、クリントンのおどおどした、あるいは悪魔のようにも見える笑いとサムズアップをテレビで見て、彼があの投票に対して礼を言っているものと私は理解した。テレビの登場人物がこの部屋を覗いているという妄想(技術的には近い将来可能になるであろう)も私にはあったため、クリントンのサムズアップは投票に対する彼からの御礼と考えたのだ。こうして私は、前に述べた「知識と審判」の腐敗した組織の構成員に投票した責任を自らに課した。クリントンの妄想は、投票用紙に署名しろと命令した「声」が発端となったのである。

犬に噛まれた親指の件は、私の指ではなく母親の親指である。しかし私にとっては、それが自分に起こったのと同じくらい精神的苦痛となった。ある日、妹や母と神について議論していた私は、自分の注意力が散漫になりつつあるのを感じていた。私は妹に、神がいかに自分の人生を支配しているかについて説明していた。その頃私はある支援グループの会に参加していた。この会の活動は私にとって大きな助けとなっていて、私は神が彼らを通じて救いの手を差し伸べてくれているような気がしていた。妹にこのことを説明しようとした時、妹の犬が母の指を噛んだ。その瞬間私は、それが支援グループの会に通うことに、神が反対しているお告げではないかと考えた。あたかもキリストの磔刑のように母の指から血がしたたり落ちるのを見て、その確信はさらに深まった。これは妄想だ、と私はひどく取り乱した。そして妄想はそれが終わりではなかった。
「神様がそんなにたびたびお告げをくれるわけがないでしょう」
と、無邪気な顔で妹は言った。そのとおりかもしれない。最後のお告げを聞いてからだいぶ経っているから、この犬に噛まれたことによるお告げには注意したほうが良さそうだと私は考えた。そこで私は妹にこう言った。
「多分これは悪魔のお告げかもしれないね」
すると彼女は、
「悪魔はこんなことに関わりゃしないわよ」
と答えた。彼女が言いたかったことは、悪魔ともあろうものが、犬が噛んだ程度のお告げになど関わっている暇がないということなのだが、私のとらえ方は違っていた。私は自分があまりにも罪深い人間なので、悪魔すら見向きもしないのだ、という意味にとった。このことが、私の自滅的偏執性妄想をさらに悪化させた。

最後にとりあげる妄想は、私がウイチタに居るときに起こった事件である。「マンパワー」という、悪意をもって解釈すれば良くない意味をもつ名前の人材会社があった。私の甥がからむこの事件は、あるストレスの多い日に起こった。妹は彼女の義理の両親とともに、私たちの実家を訪れ、夕食を共にしていた。当時私は、しばしば食物に関する妄想に悩まされていた。食事は悪、肉食は野蛮といった類の考えである。私の母はご馳走を用意し、皆めいめいに肉を皿にわけ食べていた。まだ小さくて可愛い甥のサムは、母のすぐ横で子供用の椅子に座っていた。母が彼にジャガイモを食べさせているのを、妹は傍らで眺めていた。甥はイモをのみこむのに少し苦労している様子で、妹はそれを心配気に見ていた。大声を上げたりするほどではなかったが、彼女にとっては甥がその小さな口で咀嚼したものをのみ込めるかどうかが気がかりだったのだ。私が母に目を移したその瞬間、母も私を見て微笑んだ。私はすぐにそれが邪悪な笑いであり、甥の窒息死を目的に、母が無理やり食物を口に詰め込んでいるのだと考えた。その日の母は、甥のおしめを変えたりして、1日中祖母らしく大切な孫の面倒をみていた。それなのに私は、母が甥に危害を加えようとしていると考えた。その時は母の悪意を確信したが、今はそれが病気による妄想だったと考えている。妄想のせいで私は、子供の役割は年老いた未来の住人に船を与えることにある、と考えていた。これは「マンパワー」社に関する妄想によって補強された。私の思考の中では、子供は独立した人格を有しない腐敗した企業の「歩兵」に過ぎなかった。腐敗は米国大統領にまで及ぶと私は考えていた。甥のサムは私にとっての船となるはずだった。なんと恐ろしい考えだろう!この論法を用いれば、神まで腐敗しているのではないかと私は考えたことだろう。これを書くことによって私の思考方法が虚構であり、精神病によるとんでもない想像であったことが理解できるのだ。

甥にまつわるできごとは、私の心をとても不安定にさせた。私はそれを確信し、行動すら起した。そのまま椅子から立ち上がり表へ出た私は、ヒッチハイクして車をとめ、「精神救急医療センター」まで乗せて行って貰った。そこで私は母の幼児虐待を報告した。すべてが自分の想像だと気がつくまでには、さらに数時間を要した。私はシアトルにいる弟に電話して助けを求め、彼はセンターを説得してなんとかその場を繕ってくれた。家では皆が心配して私を待っていて、甥はすでに寝ていた。

こんな話は、読者にとって楽しいことではないと思う。しかし救いを得ることも可能なのだ。その鍵となるのは、これらの誤った確信を検知すること、そして後々のために、それを虚構として心理的に強化することである。残念なことに、こうした考えは雪だるま式にふくらんでしまう。雪だるま効果(snowball-effect:雪だるま式に結果を生む原因)は私にとって制御不可能だが、雪だるま作用(snowball-affect:雪だるま式に影響を及ぼす)ならば制御することは可能なのだ。

もし私に原因を制御する力があれば、統合失調症に悩む多くの人々の助けとなることができるだろう。しかしその役目は、私ではなく統合失調症やそれに関連する精神障害の研究者にまかせよう。私にできることは、統合失調症と診断された患者の精神状態がどのようなものかについて情報を提供すること、そして統合失調症患者の自立支援に関する助言だろう。

統合失調症は、精神疾患の中でそれほど多く見られるものではないが、問題であることに変わりはない。判断や意思決定は、感情によって大きく左右される。感情を欠く行動をとれば、周囲からは冷酷または無神経と思われる。しかし冷酷という表現はまったく当たらない。無神経という言葉がおそらく核心を突いているであろう。感情的感覚機能が働かないという意味で無神経なのである。これは選んでそうなったのではない。統合失調症患者の心は、健常者の心と同じレベルで感情に反応しないだけなのだ。良好な感情の状態というものを想像することが、私にはほとんど不可能なのである。気分が高揚したり、沈んだりすることは理解できる。しかし感情というものは、健常者の日常生活に非常に大きな影響を及ぼす。ある精神科医がいみじくもいったように
「感じることはむずかしい」
のである。

ジレンマはそこにある。精神疾患を抱えながら感情の感受性を得ることは、私はおそらく不可能ではないかと考えている。薬物療法は患者の感情に大きく作用する。したがって、より良い精神治療薬を求めて研究し開発する努力はおそらく継続すべきであろう。平板な感情は、精神病症状の改善と引き換えに支払わねばならない代償かもしれない。私の経験では、平板な感情に影響された感受性は、健常者のそれよりも数段低くなってしまう。

その間に自助を促す良い方法はないだろうか。他者に助けを求めることも重要な方法であるが、人によって必ずしもこれは簡単にできることではない。おそらく自分の置かれた社会的立場を慮るからであろう。悩み事を相談すると嫌がられるのではないかとの恐れから、他人と会って話しをするのが困難になる。この問題の解決策を与えてくれるのは、教育を受けた精神医学の専門家である。自分から心を開けば、彼らは助けてくれる。

「悪い」考えや厄介な考えは、その人の精神状態に影響を及ぼす。こうした考えは、恥辱感、罪責感、不安などを生む。そもそもこうした考えを持つこと自体、興味深いことである。私の母はよく
「考えるのはタダだからね」
と言っていた。これは真実である。お金はまったくかからないのだから、悪い考えや厄介な考えに自分の精神状態を否定的に影響されないようにすべきだ。こうした考えの源泉が問題ではないことを私は過去の経験から学んだ。誰もが時にはこのような考えを持つことがある。重要なことはこれらの考えを学習体験としてとらえ、それに類似した性格の側面を自分の中に特定することにある。そしてこれらの考えから、肯定的な印象を描くことなのだ。否定的な考えから肯定的な印象を、一体どのようにしたら描くことができるのかと読者は疑問に思うことだろう。まずは自分が完璧ではないという事実を受けいれ、いずれにせよこうした不完全さも自分を構成する一部分であることを知ることが重要である。多くの場合、こうした否定的考えは、現実に問題となる程度まで性格面に現れることはない。単なる一時的な考えという以上の意義を、それに与える必要はないのだ。このような「考え」は、それによって欠点を受けいれ、自分自身が成長するための一つの心理過程なのである。

否定的な考えがいかに破壊的であるかは、いくら強調してもし足りない。単に、
「そんな風に物事を考えるものではない」
といわれても、気休めにもならない。なぜならば結局、「考えるのはタダだから」である。考えることなしには、私たちは一体どのような存在になってしまうだろうか。「良い」考えばかりでは、私たちの人生はむしろ平凡なものになってしまわないか。しかし私は、人生を豊かにするためには悪い考えが必要だといっているのではない。むしろ反対に、人を不安にするこうした考えは、表面化した怒り-自分自身の欠点あるいは建設的批判の受けいれに消極的な自分に対する怒り-の代替物であろうと思う。批判は時に建設的ではなくなるし、考えもまた然りである。それゆえに「悪い」考えが生まれる。成功の鍵となるのは、こうした否定的考えに人生を破壊させたり支配させたりするのではなく、それを利用して人生を豊かにすることである。否定的考えを基に成長することは可能なのだ。

  人生のすばらしいところは、熟考や経験に値する良い考えが存在することである。ここで少し肯定的な面についても意見を述べよう。精神疾患を不名誉な汚点と考える問題についても、状況は改善されつつある。経験豊富な精神科医やカウンセラーによる治療が期待できるし、苦悩を和らげる治療薬も存在する。精神病者を支援する社会復帰プログラムも整備された。一般大衆への教育も徐々にではあるが普及しつつある。こうした流れを私たちはますます強化していかなければならないのだ!私は両親や家族の支援が得られて幸運だった。そして回復へ向けて、支援グループや多くの人々の協力を得ることができた。私がリーダーを勤めるコンピューター・チームも、自尊心を維持する助けとなった。私は社会適応を第一の目標として努力した結果、一応の成果を収めることができた。一人の人間として成長し、自分の置かれている状態についてできる限り学習し続けようと私は決心した。自分が幸せであるのは、自己努力の賜物とはいえ、そのほとんどは支援グループのケースワーカーたちによる助力に負うところが大である。そして私を長年支えてくれた精神科医も、症状の改善に大きな役割を果たした。
筆者について

Chris L. Fleshnerは、アイオワ州スーシティのウェストン・アイオワ地域工科大学からコンピュータプログラミングのAAS資格を得ている。彼は大手保険会社のシステムプログラマーアナリストとして勤務し、契約プログラム業務に関わっている。また、コンピュータによる自動設計(Auto Cad)の教育課程を修了し、現在は特許事務所で発明案件の図面の電算化も行っている。彼には治療開始(1987年10月)以来、常に協力的な両親と兄弟(2人)姉妹(2人)がいる。


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