
インナーマッスルと記憶
西村 もゆ子
先日ふと思い立ち、ピラティスのグループレッスンに参加しました。普段はヨガを練習しているのですが、何か新しいことに挑戦してみたいと思ったのです。以来、すっかりピラティスに夢中になっています。きっかけは先生の何気ない一言、「インナーマッスルは古い記憶……」。
ピラティスとは、簡単に言うと体幹のインナーマッスル(深層筋)を強化して、全身の筋肉バランスや骨格を整えることを目指すエクササイズです。本来は先生と1対1で専用の器具を用いて行うそうですが、グループではマット上で行うエクササイズが中心。私が通う初心者クラスでは激しい動きはなく、基本姿勢を何度も確認しながら基本動作をみっちり繰り返し行う、どちらかというと地味な内容です。
初めて参加したときのこと。クラスの中盤、あおむけになり膝を立てた姿勢で、腕を伸ばしたままゆっくり上体を起こす動きをすることになりました。ところが、この動きだけはさっぱりできません。上体を持ち上げることがどうしてもできないのです。頭がとてつもなく重く感じられ、なぜか首や肩に強烈に力が入ってしまいます。このため首に痛みが走り、上体を起こすことがますます難しくなっていきます。しかしちらりと横の人を見ると、難なくこなしているようです。たまらず片手で後頭部を支えてズルをして、かろうじてその動きをやり過ごしてしまいました。
あまりのできなさにショックを受け、クラスが終わるや否や先生にかけより、このことについて質問をしました。すると逆にこう聞かれました。「むちうちか何か、首に何かケガなどをしたことがありますか?」。思い起こす限り、そのようなケガは記憶にありません。しかし一つ思い当たることがありました。バース・トラウマ(誕生時のトラウマ)です。
母親によれば、私は逆子だったため超がつく難産で、産まれたときは仮死状態でした。幸い蘇生できたものの、少し斜頸が残ってしまいました。このため母と祖母がしばらくの間、小児科医の指示どおりに私の首から肩にかけて懸命にマッサージをしてくれたそうです。おかげで私の首はまっすぐになりました。
この話をすると先生は次のように言ったのです。「インナーマッスルには古い記憶がつまっています。だから何かをしようとすると古い動きのパターンが出てきてしまうことがあります。言わばトラウマのようなもので、もうその出来事は昔のことなのに、インナーマッスルはその古い記憶のまま動いてしまうのです。でも、新しい記憶に書き換えてあげればいいのです。ピラティスはそれが可能です。新しい動き方、正しい動き方をからだに教えてあげるのです。もう大丈夫だから、もっと自由に動いても大丈夫だからって。」
首が自由に動くようになると、どれだけ楽に感じられることだろう!と、私はとてもうれしくなりました。また同時に、からだに刻み込まれている古い記憶による影響とその解放について、思いもよらぬ形で遭遇したことに驚きました。なぜならこのことはまさに、身体志向のトラウマ・ケア技法であるソマティック・エクスペリエンシングの基本的な考え方の一つだからです。
先般、訳者の一人として翻訳出版させていただいた『身体に閉じ込められたトラウマ ―ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア』では、トラウマ的な出来事や体験が心身に及ぼす影響とそのメカニズム、そうしたトラウマに対する処方箋としてのソマティック・エクスペリシングの理論が詳細に記されています。具体的な症例も豊富に紹介されており、中には私の首のようなケースもあります。また本書の中で著者ピーター・ラヴィーン博士は、温かく支えてくれる人のもとで、「タイトレーション、滴定」しながら、少しずつ安全にトラウマを処理することが重要だと述べています。
実はこのことは、基本的な動作を少しずつ無理なく安全に、指導者のサポートを受けながら行うピラティスとも共通しているように思います。さらに先生の話から、からだに残るトラウマの記憶に対して、もしかしたらピラティスでも何かできることがあるのかもしれない、と感じています。このまま練習を続けていくと、私のからだに、首に、どんなことが起こってくるのでしょう? そしてそれは私の心身のあり方にどのような変化をもたらすのでしょう? 想像すると少しワクワクします。こうしたわけで、今後も興味深く観察する眼と好奇心を持ちながら、練習を続けていきたいと思っています。
西村もゆ子(にしむら もゆこ)
臨床心理士,教育学修士,SETI認定Somatic Experiencing (R)プラクティショナー。
神戸大学経済学部卒業,トヨタ自動車(株)入社。名古屋大学教育学部3年次編入学・卒業,名古屋大学大学院教育発達科学研究科心理発達科学専攻博士(後期)課程単位取得退学。三菱自動車工業(株)岡崎健康管理室などにて勤務の後,渡欧。2015年末帰国。日英仏語で臨床活動を行う。
訳書『身体に閉じ込められたトラウマ』(共訳,星和書店刊)
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