ベストマンズスピーチ
千葉大学 社会精神保健教育研究センター 小堀修
大学院生の結婚式で、スピーチを依頼された。
しかも、披露宴のキックオフとなる、主賓スピーチ。ゲストの数は80人を超えるらしい。国際学会の口演よりも、遥かに緊張する。スピーチする場面を想像(曝露)するだけで、手足が震え、冷や汗をかく。認知再構成をできないものか。
どうやら「主賓スピーチ」という硬い言葉が、圧迫感を与えるらしい (余談だが、スーパービジョンといわず、コンサルテーションと表現したら、バイジーの緊張もほぐれるだろうか)。そこで、主賓スピーチに対応する表現を、英語で探すことにした。
欧米の結婚式において、新郎側で挨拶する者のことを、ベストマン、と呼ぶ。新郎側のスピーチは、従って、ベストマンズスピーチとなる。ほう、そういうことか。では、何がベストなのだろうか。
答えは、5世紀、ゲルマン系ゴート族までさかのぼる。
彼らが結婚するときは、男性が、同じ村の女性にプロポーズしていた。しかし、村にいる女性の人数が、男性の人数よりも少ないことがあった。すると男たちは、隣の村に行き、女性を誘拐してきて、結婚式を挙げていた。この誘拐の手助けをすること、そして、結婚式の最中に、隣村の男たちから新郎を守ることにおいて、最もふさわしい男が、ベストマンとして選ばれていた。
なるほど、興味深い。緊張がほぐれてきた私は、対処行動を開始することができた。結婚式の文例集を、ヤホー、ではなく、インターネットで検索して読みまくった。
すると、たくさんの文例のなかにも、共通性が見えてくる。 いわゆる、典型的なフレーズが見つかった。ちなみに3番目のフレーズは、イギリスのことわざらしい。
結婚生活が始まる。
結婚生活が続いていく。
喜びは2倍になり、悲しみは半分になる。
これらのフレーズを読んでいると、引っかかりを感じた。違和感? それは何だろうかと「もの想い」していると、あることに気づいた。
人間以外が、主語になっている。2人の生活が、結婚生活という構成概念、潜在変数に乗っ取られている、そんな気がした。微修正して、「ふたり」を主語にすると、こうなる。
2人が、結婚生活を始める。
2人が、結婚生活を続けていく。
2人で、喜びを2倍に、悲しみを半分にする。
何だか、結婚に対する「決意」のようなものが、にじみ出てくる。ちょっとしたさじ加減だが、フレーズの持つ色彩が変化し、立ち現れる情景が入れ替わる。
書籍の翻訳という作業も、主語を入れ替えるなど、小さなさじ加減で、書き手の描こうとする世界が変わってしまう (心理尺度の翻訳をすれば、実際に、その差が数値に表れてしまう)。だから、自分でオリジナルの文章を書くよりも、神経が衰弱する仕事だ。「これと同じ数字、どこにあったっけ?」とカードを探すように、同じ意味合いのコトバを探しては、違うカードをめくってしまう。
翻訳について、塩野七生*は次のように書いている。
「生前の福田恆存から、私は次のことを教えられた。言語を使って成される表現は、意味を伝えるだけではなく音声も伝えるものであり、言い換えれば、意味は精神を、語品もふくめた音声は肉体生理を伝えることである、と。福田先生は、翻訳もこの概念で成されねばならない、と言われた」
耳の痛い話である。だが、2000年も読み継がれているカエサルのガリア戦記ではないし、最近の学術書の翻訳なのだから、気楽にやってよくね?
…という言い訳が、私にとって有力な見方であり、有力な味方でもある。
*ローマ人の物語 (5) ユリウス・カエサル-ルビコン以後
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