自尊心、自尊感情、自己評価
当社発行の「いやな気分よ、さようなら」の著者デイビット・バーンズ先生の新しい著書の編集作業をしていて、self−esteemをどう訳そうかと思案し続けております。
そのため、self−esteemという文字が載っていると、ぱっと目に付きます。先日、インターネット上でいろいろ検索していたとき、「若い精神科医にとって、self−esteemを保つことがむずかしい」というタイトルに目が留まりました。
アメリカの女性精神科医が書いたので、とても印象深い記事でした。画面で読んで、またネットでいろいろ検索しているうちに、その頁がどこかにいってしまいました。英語で読んだものをうる覚えで日本語に要約してみます。以下のようなことが書かれていました。
「精神科医として、患者さんと自尊感情についてよく話します。患者さんが自尊感情を高めることが出来るように、自己評価を改善できるように、いつも考えています。特に人生が困難続きで失望で一杯の時には。同時に、自分自身の自尊感情を、精神科医としての自己価値観をどう維持するか、考えてしまいます。
それは易しいことではないんです。病院のピラミッド組織の中で、精神医学は、下のほうなんです。治療計画の中でおまけくらいにしか見られていないこともあります。苦しみから解き放たれた患者さんが、精神医学を周囲にほめてくれることもほとんどありません。社会的スティグマから、精神科にかかっていたとは、言わないんです。精神科医のことをテレビなどで悪く言う有名人も少なくありません。心臓の専門医を悪く言う人たちは、いないでしょうね。
精神科の患者さんは、社会の中であまり良い待遇を受けてはいません。病気の特質からして、欲求不満がたまり、怒りを感じていることが多いのです。そのため、治療者の私も、感謝されることもなく怒鳴られ、ほめてもらえることもなく脅されることの方が多いのです。病気の自然経過なのでしょうが、再発すると責められます。癌が再発したからといって、癌専門医は、その責任を取らされるでしょうか。うつを繰り返す人が、うつになったとき、なぜ私は責任を感じるのでしょうか。治療の道具が自分自身である精神科医にとって、非難や罪意識を背負ってしまいがちです。
患者さんのために、保険会社や、福祉事務所と戦うことも多々あります。処方量一つとっても、制限があります。高い薬だけでなく、ジェネリックでもあるんです。入院を保険会社に認めさせることも、なかなか大変です。このように欲求不満が大きく、士気喪失し、官僚組織と戦い、なぜ毎日この仕事をしているのでしょうか。どのように自分の職業的自尊感情を維持するのでしょうか。精神科医であることにプライドをどう持ち続けるのでしょうか。
私が毎日をやっていけるのは、小さな喜びがあるからなのです。感謝祭のときなど家族で食べるお菓子を私に持ってきてくれる子どもの患者さんがいます。病院の中で、あたかもサファリーを探検しているかのように振舞って私を笑わせてくれる思春期の患者さんがいます。娘さんが退院して一年後に状態がとても良いですとお手紙を私にくれる家族がいます。待合室に顔をだすと、飛んできて私に抱きつくよちよち歩きの子どもがいます。学校の成績表を誇らしげにもってきて見せてくれる高校生の患者さんがいます。
この本当に短い一瞬一瞬を手放したくないんです。本当に小さなことかもしれません。精神医学においては、他のことでもそうでしょうが、成功とは、いいことが少し増えることなんです。この小さな一つ一つが宝物です。疲れて、欲求不満になって、この職業を投げ出したくなるとき、もらったお菓子の味を、絵葉書にかかれている鯨の絵を、サファリーの冒険のスリリングな体験を、思い出します。保険制度が変わるまで、他の科との平等な治療待遇が現実になるまで、心の病に対する偏見がなくなるまで、精神科医としての厳しい現実と患者さんから与えられるやさしい贈り物とを天秤にかけるんです。 そうすると、私をこれ以上幸せにしてくれるものは他にはない、と分かるんです」
周りの人たちに喜んでもらえること、周りの人たちが幸せに感じてくれること、は、決して高価で大きなものではないのかもしれません。どんなに高いものでも、母親にとっては、赤ちゃんのにこっとした笑顔には勝てません。私どもが出版を続けていて、本当に良かったと思うときは、私どもの出版物を読んだ読者が、いい本だったよ、とても役に立ったよ、病気が良くなったよ、などの読者カードが送られてきて、それを読ませていただいたときです。本が出来るまでの苦労した数年間が、ぱっとばら色に輝いてきます。
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