13年前に精神科を受診して
(当事者) 栗山 朋子
精神科の門をたたいてから、13年がたちました。
先生の話では、私は、そのずっと以前から病気だったそうです。
私は病院には通っていたものの、病気であるという事実をつい最近まで、受け入れられずにいました。
あなたの病気は薬だけでは治らない。カウンセリングを受けるしかない。
そう言われても、医師にもカウンセラーにも反抗するばかりで、治療はうまくいきませんでした。
まわりの私の評価は、リーダーシップがあり、明るく、社交的で、行動力があり、ポジティブ思考。
いつも、ひょうきんで、ふざけて、はしゃいで「いつも楽しそうで、悩みがなさそう」とまで言われる始末。
でも、それは、表面上の私でしかない。
裏の私は、20回以上の就職・退職を繰り返し、何度も携帯を契約しては解約し、何度も友達を作っては捨て、まわりの人間関係を総入れ替えし、何度も自殺をほのめかし、行きずりのセックスに同性愛、買い物依存、万引き、ギャンブル、麻薬、偽名の使用と、行動に一貫性はなく、思いついたら即行動の嘘だらけの日々。
思いつきで何度も引越し、果ては日本が合わないんだと、アメリカにまで飛び出しました。
でも、今は治したい。とにかく、この残酷な病気を治したい。
その一心で、この手記を書いています。
私が、間違いなく、境界性パーソナリティー障害だと、今は、落ち着いて受け入れられる気がするからです。
はちゃめちゃに生きて、人生が破滅に向かい最後に死んでしまう。私は自分の人生がそんなものだと、心のどこかで思ってきました。
実際、人生で一番楽しかったであろう20代の半分は、約30錠の薬を飲み、毎日死んだように眠っていました。
病院を変え、薬を減らして、やっと人間らしくなったと思ったら、今度は髪をピンクに染め、奇抜な服装をして、無責任で無謀な行動をするようになりました。
生きてる意味がない。どうなってもいい。死んでもかまわない。
今もたまに、その考えにとらわれます。
でも、その一方で、自分が治ると信じたいのです。
絶望と破滅から抜け出したい。
手当たり次第に人や会社を振り回してきました。無責任で社会人としての行動がとれません。誰とも安定した関係が築けません。仕事も長く続きません。友情は3ヶ月くらいで終わってしまいます。愛情は怖くて、初めから信じられません。
死にたくなったり、なんでもできそうな気がしたり、気持ちは浮き沈みが激しく、短時間で言うことが変わってしまいます。
常に死と隣り合わせな気持ちがついて離れないのに、急に驚くほど生き生きとすることもあり、自分がどんな人間なのか分かりません。
強迫性障害、摂食障害、広場恐怖症、解離、とさまざまな病気が併発し、入院したこともありました。
なのに、表面上は社交的で、おしゃべりで、誰とでもすぐ仲良くなり、目立ちたがり屋で、人を笑わせるのが大好きなのです。
だからこそ、自分が何者なのか、全く分からない。
そして、笑って、みんなと別れたあと、孤独だ、死にたい、生きる意味がわからないと途方にくれ、涙がとまらないのです。
どれが本当の自分なのか、探しても見つからない。
でも、最近、私は病気なんだ、治せばいいんだ、そうすれば、この悪夢は終わるんだ、と思えるまでに回復しました。
今日はクリスマス。
今、この瞬間は、私に関わった全ての人たちに謝りたい。そして感謝したい。
本当にごめんなさい。
生き直すことはできないけれど、これからは、ちゃんと治療を受けて、地に足をつけて生きていきたいです。
本当に申し訳ありませんでした。
「大好きでたまらない。だからこそ、あなたが大嫌い。だけど、お願い、私から離れていかないで」
この言葉を受け止めて、私の回復を待ってくれている人たち、本当にありがとう。
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