危機を生きぬく力とは?
つしまメンタルクリニック 津島豊美
寒い日々が続いていますが、大震災の被災地の仮設住宅では水道も凍るほどの寒さとのこと。御高齢の方々が不自由な生活を送っておられることを思うと、心が痛みます。震災直後は私の住む埼玉でも計画停電で毎日3時間ほど電気が止まり、随分不自由な思いをしましたが、そういう時だからこそ!患者さんが不安にならないようにと停電中もクリニックを閉めずに、真っ暗な中、懐中電灯をつけ湯たんぽで部屋を暖めながら診療をつづけました。なので、この冬は計画停電がないというだけで、随分と幸せな気持ちになれます。
震災以後、危機を生きぬく力って何だろう?と考えながら過ごしていた昨秋のある日、日本精神神経科診療所協会(日精診)の災害支援チームの一員として石巻へ行った時のことです。支援のつもりが逆に迷惑をかけることのないようにと事前に日精診災害支援マニュアル(4月以降改訂されていない)に目を通すと、「安全のためマスク+メガネ+長靴着用のこと」とあり、「もう瓦礫や魚の死骸は片付いたであろう今でもこの指示は生きているのか??」と疑問に思いつつも、忙しい現地事務局に電話するのも気が引けて、心理スタッフ2名と計3名でマスク+メガネ+長靴姿で前日夜間診療終了後、仙台へ。早朝、支援者の集合場所に着くと、猪木の闘魂Tシャツ+スウェット+運動靴という軽装で現れた現地スタッフのTさんが、さっそく不思議そうに「なんで長靴履いてるんですか?」と。「マニュアルに書いてあったから…」と私が小さい声で答えると、「あ〜! 防寒用ですか! さすがですね〜」とTさん。つづいて「なんでマスクしてるんですか?」に、「だからこれもマニュアル通りに…」と答えると、「あ〜! インフルエンザ予防ね! 言おうと思ってたんですよ〜!」と。場違いな格好で現れた私たちに対し、Tさんはひたすら肯定的なジョークで返してくれました。もちろんこれは「もうそれほど危険ではないので長靴もマスクも必要ないですよ。真面目なんですね(笑)」という意味ですが、そうストレートに言われるよりもずっと受け入れられている感があり、私たちはすっかりうちとけて共に活動することができました。車で2時間かけて石巻へ入り、手分けして仮設住宅訪問と来談者面接を行いましたが、あいにくその日は不在が多く、私たちがお会いできたのは3件のみ。その後、やることないけど邪魔にならないようにとじっとしていたら、現地スタッフのHさんが、他地区からの支援者を津波の被害現場へ連れて行くから一緒に行こうと誘ってくれたので、あべこべに接待されても…と恐縮しつつ同行しました。現地は地盤沈下して水たまりがあちこちにできていましたが、車1台通れるくらいの工事用道路ができていて、実際に家々が流された現場へと入ることができました。1階部分が骨組みだけになった家がぽつりぽつりと残る地平に立つと、ここで多くの人が抵抗できずに流されたのだということを生々しく体感し、心よりも身体が先に反応して不意に涙が出てきました。ボランティアで来たのに現地の人の前で泣くなんて!と必死でこらえていたら、それに気づいたHさんの頬にもひとすじの涙が。…そうか、Hさんは、現地の人々の体験を私たちに頭で理解するだけでなく感じてほしかったんだ。これは一瞬の出来事でしたが、Hさんと私との間に深いつながりが生まれたように、私には感じられました。そしてマスコミではふれられなかった現地の混乱と苦悩について細かく語るHさんの声に耳を傾けながら、私たちは現地事務所へと帰ってきました。
石巻の仮設住宅は世帯単位での入居のため各棟に住む人々は全く知らない人同士。そのため皆、ボランティアの支えによりかろうじて孤独にならずに過ごせているという様子でした。ある高齢の御婦人が「半壊した家だけどまだ住めるから帰りたい。でも住んでいいのか、高台へ引っ越さなければいけないのか、国の方針が決まらないから…」とおっしゃっていたように、先が見えないのも大きな不安要素となっているようです。東北を孤立させることのないように、全国から息の長い支援をつづける必要を強く感じた一日でした。そして、自らも被災者でありながらユーモアを忘れず地道で柔軟な活動をつづけ、人と人とのつながりを育みつづけている現地のメンタルクリニックのスタッフのことを、私は心から賞賛したいと思いました。危機を生きぬく力とは、柔軟性と豊かなコミュニケーション力だ! そう確信させられた体験でした。
日精診の災害支援は3月までつづくので、冬の間にまた行ってこようと思います。
(なお、この流れで強引に結びつけるのもどうかと思いますが、柔軟性や豊かなコミュニケーション力とは、安定した愛着関係により育まれる力です。詳しくは拙訳書『愛着と精神療法』(ディビッド・J・ウォーリン著)をご参照いただければ幸いです。)
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