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■特集 境界性人格障害―治療技法の洗練― I

●境界性パーソナリティ障害と発達障害:「重ね着症候群」について―治療的アプローチの違い―
衣笠隆幸
 近年,筆者の臨床研究グループでは,臨床的に境界性パーソナリティ障害と診断される中に,背景に高機能型発達障害を持っている患者群が存在していることに注目している。前者の場合には,精神分析的精神療法などの適用となるが,後者の場合にはそのような自己理解を促進する治療が,かえって患者の衝動的な行動を刺激したり,自己感がさらに混乱してしまうことが多く,薬物療法や支持的療育的なアプローチが適切な場合が多い。そのような場合には診断が重要であるが,まずパーソナリティ障害の診断プロセスをとった上で,高機能型発達障害が疑われた場合には,さらに乳幼児期からの発達の固有の特徴に関する情報を得る必要がある。実際には,多彩な精神疾患の臨床症状を呈する患者群の背景に,高機能型発達障害を持っている者が多く存在しており,境界性パーソナリティ障害の臨床像を呈する者もかなり存在している。筆者らはそのような患者群を「重ね着症候群」と呼び,成人期になって種々の精神症状を持って精神科を受診し,初めて発見された高機能型発達障害の存在に注目しており,その臨床的特徴の明示と治療法の選択の問題を提示してきている。本稿では境界性パーソナリティ障害の臨床的特徴を持ち,背景に高機能型発達障害が存在している「重ね着症候群」の2症例を紹介している。
Key words: high-function developmental disorder, layered-cloths syndrome, therapeutic-educational approach, guidance for family

●境界性パーソナリティ障害と病理的組織化
菊地孝則
 本稿では英国クライン派の精神分析概念である病理的組織化について,その全体像の他,自己愛,破壊性,倒錯性,投影同一化そして精神病的組織との関連という観点から解説し,今日現象学的特徴に基づいて操作的にカテゴライズされる境界パーソナリティ障害の臨床像を,病理的組織化の観点からどのように理解しうるのか照合を試みた。その上でこのような力動的視点と理解を導入することが,この障害の治療にどのように貢献しうるのかを論じた。そして最後に境界性パーソナリティ障害の症例で,精神分析的精神療法過程に病理的組織化の動きが典型的に立ち現れた局面を紹介し,その力動的理解と治療的取り扱いについて私見を述べた。
Key words: borderline personality disorder (BPD), pathological organization, narcissism, psychoanalytical psychotherapy, negative therapeutic reaction

●境界性人格障害治療における認知療法の実践
原田誠一
 本論では,境界性人格障害の治療における認知療法の方法論・有効性・課題について述べる。はじめに,境界性人格障害の認知療法に関する海外の臨床研究を概観した。その中で,Beckによる人格障害の認知療法に関する所論に触れた後,Linehanの弁証法的行動療法,Youngのスキーマに焦点を当てた認知療法,Pretzerらの認知行動療法を紹介した。また,PretzerとBeckが記した「人格障害に認知療法を適応する際の一般的な治療指針」の12項目を記した。さらに,筆者が試みている境界性人格障害の心理教育・認知療法の実践の一端を,症例を紹介しながら述べた。
Key words: borderline personality disorder, cognitive therapy, psychoeducation, dialectical behavior therapy, schema-focused cognitive therapy

●転移の諸相をふまえた境界性人格障害の治療的対応―治療者の欲望と転移性外傷―
加藤敏
 いかなる治療的アプローチをとろうとも,境界性人格障害の治療過程において,大なり小なり無意識の力動が賦活化する可能性を排除できない。それゆえ,治療者は精神分析の視点を踏まえておくことを要請される。境界性人格障害の治療過程は,@患者希望期,A患者絶望期,B治療者後退期,C患者・治療者再接近期と図式化され,陽性,陰性の転移,逆転移が交互に出現する一連の動きとみると理解しやすい。激しい行動化が出現し,治療が悪循環をきたす悪性転移の事態にあっては,患者-医師関係が恋人の関係に変質しており,お互いに傷つけあう鏡像的関係に陥っているという認識から,治療者の交代を真剣に検討する必要がある。こうした悪性転移を引き起こす一因として,患者に対する治療者の欲望も無視できず,転移性外傷を問題にできる。ある段階において治療を打ち切ることが,患者の自由と自律を引き出し,治療的に働くので,治療の打ち切り,終了も重要な治療の選択肢の一つである。
Key words: borderline personality disorder, transference, countertransference, psychotherapy, desire

●境界性人格障害治療の場と限界設定―他科との関わりを中心に(救急部での対応)―
浜中聡子 上條吉人
 境界性人格障害(BPD)患者は見捨てられることに激しい怒りやパニック,絶望をもって反応することが多い。BPD患者に認めがちな逸脱行動はこういった“見捨てられ不安”による強い苦痛から逃れたいがために行われやすい。なかでも自傷行為や自殺企図においてはわずかなひっかき傷や煙草の火を自身に押し付けるなどの行為から,救命救急センター搬送を余儀なくされるような薬物の過量摂取,その他単なる“Wrist Cut”に終わらなかった重篤な刺切創,飛び降り,首吊りまでその手段は多岐にわたる。BPD患者においてはおしなべて致死的ではない,意図的な自傷行為が圧倒的に多く,これは確信的な自殺企図(Suicide Attempt)と区別してパラ自殺(Parasuicidal Behavior)と呼ばれる。その多くは精神科救急外来や一次・二次救急施設で対応され,三次救急施設に搬送されるケースは少数である。
Key words: borderline personality disorder (BPD), emergency department, suicide attempt, parasuicidal behavior

●境界性人格障害治療の場と限界設定―大学保健管理センターにおける対応―
小川豊昭
 大学保健管理センターにおける境界性人格障害の学生および教職員の治療の特徴と問題点について述べた。@最近の学生の特徴として引きこもりが増えているのと平行して,彼らは心的にも退避しており,それが境界性人格障害の病像を修飾している。また,思春期青年期が延長しており,それだけ治療効果も得やすい。A境界性人格障害の学生同士がしばしばカップルを形成し,相互に病理を増強しあっている場合が見られる。また留学生の場合も特有の病理を示す。B保健管理センターでの治療の問題点として,治療者の中立性を保ちにくいことや患者が治療者のプライバシーを侵害しやすいことがある。C治療の工夫として,週当たりのセッションの頻度,時間,自由連想か対面かを患者の病理に合わせる。また必要に応じて,家族,指導教官,友人,恋人,看護師の協力を得て,ホールディングの機能を高め,アクティングアウトに対処する。D教職員の治療について,非常に難しいが,やりがいのある仕事であることを述べた。
Key words: borderline personality disorder, schizoid personality disorder, psychological change in contemporary students, university counseling center for students, mental health of international students

■研究報告

●難治性うつ病におけるtriiodothyronine(T3)付加療法の効果に関する前向き研究
原かおり 永山治男 土山幸之助 山田久美子 稗田恵子 石井啓義
 《目的》うつ病の付加療法において,付加薬物の違いによる効果の違いを明らかにする。《方法》clomipramine(CMI)150mg/日による単剤治療,およびlithium(Li)付加療法によって改善基準〔17項目Hamiltonうつ病評価尺度(HRSD)50%以上改善かつHRSD≦7〕,あるいは寛解基準(HRSD≦7かつGAF≧71)に達しなかった8例の大うつ病性障害患者に4週間にわたってCMIをベースにしたtriiodothyronine(T3)付加療法を行った。経過中,定期的にHRSD,機能の全体的評定尺度(GAF),副作用チェックリストによる評価,および甲状腺機能検査を行った。《結果》1例が寛解基準に達し他の1例がHRSDの25%以上の減少を示した。副作用としては食欲不振,脱力感,暑さに弱い,腹痛がみられたがいずれも軽症であった。以上から,Li付加療法では効果が得られないがT3付加療法であれば有効という場合があることが示唆された。
Key words: refractory depression, augmentation therapy, triiodothyronine (T3)

■臨床経験 

●睡眠相後退症候群の漢方治療
佐藤田實
 漢方で治療した睡眠相後退症候群の4症例を報告し,これをもとに治療法を議論した。症例は睡眠障害国際分類の最小限診断基準のA〜Dを満たした。治療方法は伝統的日本漢方に則り薬はエキス剤を用いた。腹診すると4例中3例に胸脇苦満と下腹圧痛とを同時に認めた。そこで柴胡剤ないしは柴胡を含む処方と駆〓血剤とから処方を選択した。その結果各々単独では効果は不十分であるが,両者併用にすると良い効果を得た。有効処方は症例ごとに異なった。柴胡桂枝湯+桃核承気湯,補中益気湯+四物湯,補中益気湯,補中益気湯+四物湯および加味逍遙散+四物湯が有効であった。どの処方も一般の漢方診療で頻用されるものであった。薬効は早いものでは数日で現れ,効果が出て復職に至るまでの期間では1ヵ月前後,少し長いと2ヵ月ぐらいであった。使用処方と治療期間からみて,睡眠相後退症候群の漢方治療は一般診療所でも実践可能な治療法であると考えられた。
Key words: delayed sleep phase syndrome, fullness of the hypochondrium, tenderness of the lower abdomen, combined formulation

●慢性甲状腺炎(橋本病)によって周期性錯乱状態を呈した一例―FT3値と精神症状の関係―
金沢ひづる 大塚耕太郎 酒井明夫 間藤光一 高谷友希 柴田恵理 丸田真樹 山田聡敦 中山秀紀 智田文徳 武内克也 川村諭
 慢性甲状腺炎(橋本病)の経過中に周期性錯乱状態を呈し,抗甲状腺薬で改善した症例を報告する。症例は27歳女性で,22歳時に潰瘍性大腸炎,24歳時に大動脈炎症候群を発症し,ステロイド治療で満月様顔貌,多毛が出現していた。26歳時に抑うつ,制止が出現し,徐々に明識困難状態や独語幻覚を呈し,橋本病との診断でlevothyroxine,liothyronineを投与した。臨床的にFT3低値と意識障害,独語幻覚などの精神症状との関連が強く示唆され,FT3値が正常化した時点で症状は消失した。従来,橋本病の治療は副作用の少ないことからT4補充療法が望ましいとされるが,本例のようにT4補充療法でもT3低下が存在し,精神症状との関連も疑われる場合,T3補充療法が必要となることが示唆された。
Key words: Hashimoto's disease, confusion, hormonal supplement therapy, Free T3, thyroid function

●老年期発症の音楽幻聴
武内克也 酒井明夫 大塚耕太郎 遠藤知方 奥山雄 高谷友希 柴田恵理 金沢ひづる 丸田真樹
 音楽幻聴がみられた老年期聴覚障害3例について詳細を検討し,統合失調症53例の音楽幻聴と比較することにより,老年期聴覚障害例における音楽幻聴の性質を示すことを試みた。老年期聴覚障害例の音楽幻聴の起源は「外部」であり,音楽の構成では,「聞いたことのある音楽」の「一部分」が「繰り返し出現する」という性質がみられ,これは統合失調症の音楽幻聴の性質と一致した。また,音楽幻聴は「非自己所属性と外的起源」を示したが,「音楽幻聴の現実性」がなく,老年期聴覚障害例の音楽幻聴の特徴と考えられた。統合失調症の音楽幻聴と比較検討することにより,老年期聴覚障害例の音楽幻聴では,その出現に記憶障害を含む認知機能障害が関連している可能性が示され,治療と経過観察では,その存在を考慮する必要があると考えられた。
Key words: schizophrenia, musical hallucination, cognition, deafness