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■特集 司法精神鑑定 II

●法廷での鑑定人
林  幸司
 司法精神鑑定とは最高度の診断書を法に提供する仕事である。精度を求めて長大になるとその分見かけの矛盾点も生じやすく,対立する立場にはあれこれとつけ込む隙を与えることになる。鑑定の最大の難関は法廷での証人尋問といってよい。尋問の不快な体験から鑑定に背を向ける,というような逃避的姿勢が大勢では,公平であるべき鑑定が一部の者だけの仕事となり,司法制度にとって大きな弊害であろう。精緻な論考を紙面に展開することはもちろん重要だが,それだけではチェックが働いていない。面と向かっての反論をクリアして初めて真の説得力を持つのである。本稿ではある平凡な事例をもとに,法廷に臨む準備の進め方,応答サンプル,尋問後の総括の重要性などを論じた。
Key words: psychiatric test, examination of a witness, criminal responsibility

●酩酊の司法精神医学的判断
影山 任佐
 「酩酊」は医学的には中枢神経作用を持つ薬物の急性中毒である。アルコール症などを含めた最も広義のアルコールが関係した犯罪を「アルコール犯罪(alcohol crime)」あるいは「アルコール関連犯罪(alcohol-related crime)」と総称することを筆者は拙著で提唱した。アルコール犯罪の中の酩酊犯罪(酩酊者による犯罪)では,責任能力の理論と刑事政策的実務とが矛盾する難問,enigmaと従来言われ続けてきた。本論ではこの酩酊犯罪について,主として刑事精神鑑定,とりわけ責任能力について,酩酊分類と層構造論の二つの観点を中心に,われわれの研究成果をもとに最近の内外の比較的重要な文献を重点的に紹介しながら,展望的に述べた。
Key words: alcohol crime, intoxication, psychiatric evidence

●洗脳,マインドコントロールの責任能力
高橋 紳吾
 カルト犯罪の背景にある心理操作に関して司法精神医学的な知見はほとんど集積されていない。ましてこの点での責任能力問題においては精神鑑定が実施されることがきわめて稀という事情もあり,これまで議論を呼ぶこともなかった。わが国では最近やっと損害賠償事件で言及されるようになり,心理操作下での自由意志の欠如が認定されるようになったが,一連のオウム事件を端緒とする刑事事件では,そもそも心理操作の影響力自体が否定され厳罰が下されている。  強い世論が背景だけにそのような司法判断もやむを得ないが,筆者はカルトカウンセリングの立場から,心理操作問題の生物学的要素は感応現象と解離であると主張し続けてきた。犯行時の責任能力論議が十分なされないまま裁判が終了することは,カルト対策という点からも不備であることを指摘した。
Key words: mind control, cult, criminal responsibility, induced psychosis

●司法精神鑑定の法的位置と「新処遇法案」
伊賀 興一
 現行刑法は責任主義を明記している。行為時,心神喪失状態であったと認められれば,刑事責任は問われない。しかしながら,全国に衝撃を与えた池田小事件は,この責任主義に対する「疑問」を表面化させた。さらに,起訴前鑑定と検察官の不起訴処分が適切になされているのかという議論も出されている。
 起訴前はもちろん公判段階にあっても,精神鑑定はきわめて重要な役割をもつ。鑑定する医師の適切な確保,逮捕勾留中における医療の中断を防ぐ方策の確立,そもそも刑事裁判の使命である事実解明において,裁判所の判断が,医学的,心理学的検証に耐えうるレベルを確保するにはどうすべきかなど,現状における改善すべき点はあまりに多い。
 本年3月15日,政府は心神喪失者等に対する新処遇法案を閣議決定した。この新処遇法案は,前記の問題点に対する改善にはおよそ意を介さず,「心神喪失等の状態により重大事件をおこなった」対象者に対し,「同様の行為の再発を防止する」ことを目的とするというものである。処遇内容や,人的・物的資源等は全く不明にしたまま,「再犯のおそれ」を認定する予防拘禁手続となる。  これにより,精神障害と犯罪に関する実務にも重大な変更が生ずることは否定できないだろう。「再犯のおそれ」の判定とその除去は医学的に可能なのか,その前提たる精神鑑定はどのような役割を担うのか,問題は大きい。
Key words: mental examination, preventive custody, crisis call, crime, maintenance of attending hospital

■研究報告
●精神分裂病慢性期における音楽療法の効果
馬場  存  屋田 治美  内野久美子 他
 某病院精神科閉鎖病棟に入院中の患者に対し,病棟デイホールにおいて集団歌唱形式の音楽療法を施行した。音楽療法セッションへの自発的な参加がみられた,ICD-10-DCRの基準を満たす精神分裂病患者9名を対象に,施行開始時および約1年後の2回,PANSSによる症状評価を行った。その結果,陽性症状尺度得点,構成尺度得点,総合精神病理尺度得点に有意な変化はみられなかったが,陰性症状尺度得点が約1年後に有意に低下した。音楽はそれ自体で一つのコミュニケーション手段であることから,集団歌唱形式の音楽療法が,言語的接近の困難な分裂病例に対し,安全保障感を賦与しながらコミュニケーションを成立させて,陰性症状の改善に寄与した可能性を指摘した。音楽療法は,分裂病の陰性症状を中心とする症状群に対し,有効な心理社会的治療手段の一つとして,もう少し重要視されてもよいと思われた。
Key words: music therapy, negative symptom, communication, Positive and Negative Syndrome Scale, schizophrenia

●初回入院分裂病患者の精神病未治療期間と13年予後
小林 聡幸
 自治医科大学精神科への初回入院分裂病症例の平均13年予後研究のデータを用い,そこに後方視的に調査した精神病未治療期間(DUP)を加えて,DUPと患者の背景因子・病像,DUPと13年予後の相関を検討した。DUPの平均は8.7ヵ月,中央値が1ヵ月であった。検討に当たっては,DUPの長短に応じて,DUPが14日未満(実際には数日内に収まる)の無DUP群と,14日以上の有DUP群との二群で比較した。DUPと背景因子の関連,DUPと病像の関連ともに,有意な所見はなかった。DUPと予後の関係については,統計的有意ではないが,無DUP群に予後良好な症例が多い傾向がみられた。
Key words: schizophrenia, duration of untreated psychosis, outcome

●40年間てんかんとして治療された特発性副甲状腺機能低下症の1例
木村 健一  儘田 敏且  西森 茂樹 他
 症例は54歳の男性。軽度の精神発育遅滞があり,中学時代にけいれん発作を起こして以来てんかんとして治療されてきた。てんかん性の精神障害とアルコール依存のため約10年間精神病院に入院した後,グループホームで生活を続けたが四肢麻痺が出現して,リハビリテーションを含めた治療のため当院に入院となり,そこで発症以来40年を経て特発性副甲状腺機能低下症と診断された。ビタミンD治療が開始され抗けいれん薬の減量と知覚障害の改善を見た。また黄色靱帯骨化症も認められ,これについてはlaminectomy手術が実施され,リハビリテーション後自立した生活が可能となった。すべての症状についてカルシウム代謝異常が関連していると考えられた。
Key words: idoiopathic hypoparathyroidism, epilepsy, mental retardation

■臨床経験

●Risperidoneとhaloperidolの併用が著効しデイケア通所が可能となった精神分裂病の一例
佐々木信幸  長栄  洋  山田 真吾 他
 治療抵抗性の精神分裂病患者に対して,risperidone(RIS)12mg/日とhaloperidol30mg/日の併用投与を行ったところ,デイケアへの通所が可能となった一例を報告した。
 症例は32歳男性で,頑固な幻聴と幻聴に基づく行動化が続いていた。RISを投与開始し4mg/日単剤で維持されていたがはっきりとした効果はなく,RISを12mg/日まで漸増し,haloperidol 30mg/日との併用によって幻聴へのこだわりはなくなり,8ヵ月後にデイケアに通所可能となった。本症例の観察から,以下の4点が明らかになった。@RISの至適用量には個人差がある。ARISへの置き換えに際し,従来型抗精神病薬を中止しない方が良い場合もある。B社会復帰までの経過観察期間としては,6〜12ヵ月以上の長期を要する。C薬剤抵抗性の難治性精神分裂病も,非定型抗精神病薬の調整次第では社会復帰の可能性があり得る。
Key words: risperidone, day-care center, schizophrenia,‘Hurry' symptoms

●Trazodoneが有効であったREM睡眠行動障害の一例
長谷川雄介  江守 賢次  福田 英道 他
 REM睡眠行動障害(以下RBD)に対しては,通常clonazepamやimipramineが使用される。しかし,今回われわれは呼吸に影響が少なく,抗コリン性の副作用も少ないtrazodoneを用いてRBDの治療に成功した一例を紹介する。症例は48歳男性で30代後半に糖尿病を指摘され,47歳時より腹膜透析を開始した。X年6月頃より眠りながら家の中を歩き回るようになり,転倒し怪我をするようになった。徐々に増悪し,8月より1晩に1〜2回,気づいたら隣の部屋で寝ていたり,襖に飛び込んだりするエピソードを認めたため,当科を受診した。Clonazepam,imipramineを投与したが効果は乏しく,trazodoneにより夜間の異常行動は認められなくなった。Trazodone投与前後でpolysomnography(PSG)を比較したところ,筋電図を伴うREM睡眠(REM with tonic EMG)の減少,定型的REM睡眠の増加,深部睡眠の増加が認められた。Trazodoneの睡眠に与える影響としては5HT2阻害作用による徐波睡眠の増加が知られているが,REM睡眠に関してはREM潜時を延長するものの,抑制はしないことが報告されている。しかし,REM睡眠抑制作用も報告されており,imipramine,clonazepamと同様にREM睡眠の抑制作用によりRBDに効果があることを推測される。
Key words: trazodone, REM sleep behavior disorder, polysomnography, REM with tonic EMG, 5HT2

●「美しき無関心」についての一考察
杉林  稔
 「美しき無関心」あるいは「満ち足りた無関心」と訳されるla belle indiffrenceは,ヒステリーの症候学の中では,他の派手な症状群の中に紛れ込んだ,辺縁的な用語であったと思われる。しかしこの用語は,ヒステリーを記述する数々の用語の中でもとりわけ記述者の主観が問われる倫理的用語としての性格が強い。ヒステリーはその本質においてある種の「美しさ」を備えており,また同時に驚くべき「無関心」がその本質において居座っている,という認識がこの用語の中に潜伏していると読み取ることも可能である。本稿ではヒステリー現象そのものを捉え記述する方法としてこの用語に注目し,筆者が主治医として対応したヒステリー患者について,筆者の主観的体験に焦点を当てて記述し,患者をめぐる「失笑」「無関心」「美しさ/満ち足り」「ヒステリー包囲網」などについて考察した。また「美しき無関心」の持つ独特のリアリティーについて演劇の登場人物と観客の比喩を用いて検討した。
Key words: idoiopathic hypoparathyroidism, epilepsy, mental retardation