■特集‐EBM/アルゴリズム治療ガイドラインの有用性と問題点(基調論文)
●精神障害の治療ガイドラインと薬物療法アルゴリズム:概要
佐 藤 光 源
精神科の治療ガイドラインは、薬物療法と心理社会的介入(精神療法、社会的治療など)を含む包括的な治療指針をめざしている。それには、Evidence-based
Medicine(EBM)とExpert Consensus(EC)のガイドラインがある。一方、薬物療法アルゴリズムは多軸診断の1軸に焦点をあて、EBMの薬物選択手順を示すことを目指している。いずれも主治医が治療計画を立てたり、処方計画をするのに役立てようとするものであるが、すべての症例に一律に適用できるdefinite
standardを求めているのではない。EBMの手法は論拠となる研究論文が示され、推奨の信頼度も評価され、改訂のさいに新知見を導入して推奨することができる。推奨の論拠が十分でない領域の研究を促進するという利点もある。しかし、研究的なEBMに拘束されるので、ECほど実践的な指針を提供しにくいという弱点もある。いずれの指針も患者のrisk-benefitを重視して策定されたものなので、その有用性は高い。
Key words: treatment algorithm, mental disorders, risk-benefit, evidence-based
medicine
● EBM薬物選択アルゴリズムの意義と役割
樋 口 輝 彦
薬物選択のアルゴリズムの必要性を論じ、同時にその問題点とリスクを考察した。必要性としては、1) 初心者には薬物療法のアルゴリズムが必要である、2) アルゴリズムは可能な限りEBMに基づいて作成されるべきである。この場合、個々の経験を無視するわけではないが、個々の経験のみでその治療法を普遍化することはできない。経験から出発した方法はいずれ客観的比較試験によって確認され、アルゴリズムに組み込まれていくべきである、3)
アルゴリズムは統計的データに基づいて作成されたものであり、ある水準を確保することに意味があるのであり、個々のケースに最適な薬物選択は、このアルゴリズムを基礎にして組み立てられるべきものである。問題点としては、4)
実際の治療は薬物療法のみで行われるわけではないが、アルゴリズムに他の治療法を組み込むことは困難である、5) 実際の医療現場の治療とかけ離れていることなどである。
Key words: algorithm, psychopharmacology, evidence-based medicine, international
psychopharmacology algorithm project IPAP
●EBM(統計証拠)/アルゴリズム(フローチャート)vs.経験証拠/治療適応
‐治療方針の選択に際しての臨床医の決断‐
中 安 信 夫
近年提唱されてきた治療ガイドラインとはいうならばEBM/アルゴリズム治療ガイドラインであるが、そのなかに含まれる統計証拠/フローチャートという治療の考え方を旧来の経験証拠/治療適応という考え方から批判的に考察した。そして、実際的観点からは@EBM/アルゴリズム治療ガイドラインはほぼ操作的診断基準によって与えられた診断病名のみによって属性を規定された、いわば特定度の低い患者に同一の治療を施すものであって、否応なく肌理の粗い治療とならざるをえない、A臨床現場においては臨機応変が要求され、またそれこそ臨床医の証しとも思われるが、EBM/アルゴリズム治療ガイドラインはその対極とも思えるほどの硬直した治療である、BEBM/アルゴリズム治療ガイドラインに従うかぎり、診断的見直しは最終段階の治療が無効と判定されるまで行われないことになるが、フローチャートの最初にある診断病名が誤診された場合には延々と誤治療が続くことにならざるをえない、と批判した。
Key words: evidence-based medicine, algorism, experiential evidence, indication,
psychiatric treatment
●EBM/アルゴリズム/背景と諸問題
鈴 木 國 文
まず〓 EBM/アルゴリズムといった考え方が現れた背景を医療情報の増大、アメリカの医療事情、精神科固有の状況という視点から把握した。次に、EBM、アルゴリズム、ガイドラインという用語のそれぞれの起源と意味について論じ、それぞれの用語を精神科医療の中で用いるときの問題点について論じた。以上の議論を踏まえて〓
EBM/アルゴリズム治療ガイドラインと言われる方法の持ついくつかの問題点を、初心者への教育、薬物以外の治療法との関係〓 倫理的な問題〓 そしてパラダイムの混乱という各視点から論じた。最後に科学論的な視点からこの潮流の意味に触れた。
Key words: algorithm, EBM, ethics, training, paradigm
●精神科治療ガイドラインの有用性と問題点 <疾患の普遍性と患者の個別性>
福田 正人 菊地千一郎 林 朗子 清水由美子
EBM/アルゴリズム治療ガイドラインは、精神疾患治療の現状における問題点を解決する方法の一つとして提出されている。問題点とは「治療法選択の根拠が不確実」「治療効果判定の根拠が不十分」なことであり、その背景には「精神疾患においては、簡便で、反復して測定可能で、疾患の本質を反映する生物学的指標を現状では診断・治療に利用できない」ことがある。精神疾患の治療においては「疾患の普遍性」と「患者の個別性」の両者がともに重要であり、EBM/アルゴリズム治療ガイドラインの有用性を主張する立場は疾患の普遍性を、問題点を主張する立場は患者の個別性を強調したものである。いずれの立場においても、診断の確定や治療の選択を診療経過のなかで発展する過程として理解することが重要である。EBM/アルゴリズムの明らかな利点として、薬物療法の時系列についての情報を初心者に提供している点があげられる。
Key words: psychiatric diagnosis, psychiatric treatment, algorithm, evidence-based
medicine, biological marker
●討論:疫学を専攻するものとして
三 宅 由 子
EBM/アルゴリズム治療ガイドラインの有用性と問題点についての推進派、懐疑派の論文を読んで、疫学を専攻したものとして討論した。推進派と懐疑派の主張は、基本的考え方に大きな隔たりはないように思われた。ガイドラインやアルゴリズムの基礎となる「エビデンス」について、統計学的なものばかりでなく経験的エビデンスについても、精神科における評価とその臨床上の用い方について、医師の間での討論がもっと必要と考えられた。客観的エビデンスが不足している段階で示されるガイドラインやアルゴリズムは、科学的に示される「エビデンス」の最新情報を総合的に参照するためには有用であろう。そのためには情報技術を用いて、常に新しい情報を提供するためのシステム作りが必要ではないかと思われた。
Key words: epidemiology, evidence based medicine, information technology
●実証的根拠に基づいた医療:経験から科学へ
倉 知 正 佳
Evidence-based medicine(EBM)とは、医療におけるサイエンスの比率を高め、アートに相当する医師の総合的判断をできるだけ実証的根拠に基づいて行うことと理解できよう。EBMの立場からは、薬物の臨床試験に用いられる無作為割り付け比較試験(randomized
controlled trial、RCT)の結果がエビデンスとして重視されるが、医学の進歩という観点からは、優れた症例報告も貴重な価値がある。薬物選択アルゴリズムは、薬物療法の大枠を示すものであるが、正しいことのすべてが実証され得るわけではない。医療の現場では、状態像の把握や治療上の工夫が必要であり、今後は、臨床上の疑問を解決するための臨床試験、例えばうつ病の状態像(病期)に応じた薬物の臨床試験などが行われることが望ましいこと、および分裂病の認知機能障害などの研究成果を臨床試験の際の評価に導入する必要があることを述べた。
Key words: evidence-based medicine, science, art, experience, clinical picture
●EBM/アルゴリズム治療ガイドラインの有用性と問題点
小 島 卓 也
EBM/アルゴリズム治療ガイドラインの有用性と問題点についての論文を読んで感想を述べた。問題点として、操作的診断基準につづいて、EBM/アルゴリズム治療ガイドラインというマニュアル化した方法が導入されることにより、精神医学における診断と治療の基本的な態度や方法が相対的に軽んじられるのではないかという危ぐを述べた。またガイドラインの基盤になっているものは限定された条件の中での比較試験の結果を集めたものが多く〓
一種の治療のモデルであり〓 臨床での実感とはかけ離れた点が多々認められる。これらの点に留意が必要である。有用性としては薬物療法に関して一定の治療レベルを維持するという点で役立ち、生涯教育的にも知識の普及という点でも有用である。特徴と限界をわきまえて利用することが必要である。
Key words: evidence based medicine, guideline of psychiatric treatment, psychiatric
interview, patient-therapist relationship
●EBM/薬物療法アルゴリズムのあり方を考える
大 野 裕
本稿では、EBM/薬物療法アルゴリズムに関する議論をもとに私見を述べた。その際、筆者は、精神医学的障害を「脳の障害のために心で悩んでいる状態」と定義し、ある意味で雑多な臨床場面の中で生物・心理・社会の多元的な視点から治療を考えることが重要であることを指摘した。また、アメリカ精神医学会の『精神疾患の診断・統計マニュアル』や、治療ガイドラインの一つである『エキスパート・コンセンサス・ガイドライン』などを参考に、薬物療法アルゴリズムに、情報を階層化したより教育的なツールとしての性格を持たせる可能性についても言及した。
Key words: EBM, algorithm, treatment guideline
●治療ガイドラインをどう用いるか
宮 岡 等
治療ガイドラインをめぐる議論は、DSM-III以後、精神医学にふりかかった操作的診断の波が、治療にまで波及したととらえることもできる。操作的診断基準の問題点がしばしばとりあげられるが、その多くはそれ自体に問題があるのではなく、その使い方をきちんと教育できていないことに起因すると考える。
治療ガイドラインにおいて、Evidence-Based Medicine(EBM)とExpert Consensus(EC)によるガイドラインはきちんと区別しておく必要があるが、それぞれの背景を知って意義と限界を理解して用いれば、問題は生じにくいし、十分に有用であると思う。何より重要なのは操作的診断基準と同様、その使い方をきちんと知ることである。
治療ガイドラインが世にでれば精神科以外の医師や医学以外の領域でも利用されるため、呈示する側は利用する側とともに一定の責任を負わねばならない。
Key words: treatment guideline, algorithm, evidence-based medicine, DSM-III, postgraduate
education
●An EBMer's dreamコクラン・ベースト・ガイドライン
古 川 壽 亮
三環系抗うつ剤の標準投与量を例に、現行の最良の診療ガイドラインですらまだまだエビデンスベーストになってはいないこと、一人一人の患者さんの価値観を尊重できるようにエビデンスを揃えるには何がなされなくてはならないかを例示した。夢はコクラン・ベースト・ガイドラインである。
Key words: evidence-based psychiatry, Cochrane Library, meta-analysis
●批 判 的 立 場 か ら
八 木 剛 平
中安氏の指摘するように薬物療法EBM/AGRは本質として「粗にして硬」ならざるを得ず、如何に手を加えようと「精にして柔」とはなり得ない。そして皮肉なことに医療現場の外におけるその存在価値は、佐藤氏が紹介しているような米国の治療ガイドライン(GL)やIPAPの薬物選択AGRに明記された4項目の制約に違反するほど高くなる。すなわち、1)
全患者に一律に適用できる治療基準を策定する、2) 治療指針は患者の全体像の診たてによらず、EBMで規定する、3) いったん作ったら暫くは変更しない(めまぐるしく改訂すれば信用を失う)、4)
法的判断や保険の判断、薬の販売に利用する。最後に、EBM/AGR治療GLの推進者には、その作成の試みを自己の研究活動の範囲内にとどめられるよう、そしてそれを治療と教育の現場に導入したいという誘惑に負けないよう自制を望む。
Key words: EBM, algorithm, psychopharmacotherapy, critical comments
●EBM:アルゴリズム治療ガイドラインの有用性と問題点を読んで
笠 原 洋 勇
EBMに基づくアルゴリズム治療ガイドラインの実践は注意を要し、留保をおくべき視点と、今後の精神科治療の一般化のために意義のある方法であることの両面が指摘される必要がある。
特にアルゴリズムの確立の根拠となっている二重盲検法が、再現性があるかどうか。また、プラセボでもかなりの比率で効果がみられるのは何故か、などについて解決される必要がある。壊血病が栄養の障害によることが見い出された手法として、二重盲検法が用いられたが、精神科疾患の原因がわからないまま、薬物を投与することによって改善されることを証明する方法については、検討すべき課題であるという視点を持ち続ける必要があろう。
一方、人間社会において、精神障害は避けて通れないにもかかわらず、偏見に満ち満ちている現状では、わかりやすいアルゴリズムは、疾病教育のために有効性を発揮すると思われる。
Key words: EBM, algorithm, double blind, reliability, psychoeducation
■研究報告
●ペットボトル症候群を呈した緊張型分裂病の一症例
煙 久子 金 光洙 白川 治 前田 潔
近年、若年肥満者を中心にペットボトル飲料の多飲によって糖尿病性ケトアシドーシスに陥る症例が報告されるようになり、ペットボトル症候群と呼ばれている。今回我々は、分裂病患者がペットボトル症候群を呈した一例を経験したので報告した。
症例は、35歳男性。19歳時に発症し以後入退院を繰り返していた。X−1年12月頃より口渇・多飲が著明となり、ペットボトル飲料を大量(〜5l/日)に摂取するようになった。X年1月には不安・焦燥感も加わり、同時に体重減少をきたした。傾眠となったため同年1月28日、当科に緊急入院となり、糖尿病性ケトアシドーシスと診断された。大量の補液とインスリン治療を行い、最終的には食事療法のみとなり退院となった。
従来、精神疾患における病的多飲は水中毒の原因として注目されてきたが、ペットボトル飲料の普及に伴い、本症例のように糖尿病性ケトアシドーシスに至る症例も今後増加するものと考え報告した。
Key words: PET bottle syndrome, water intoxication, catatonia, diabetic ketoacidosis
●症例検討会を検討する
熊 木 徹 夫
本論では、精神科の症例検討会(以下、検討会と略)の構造と意味を取り扱った。精神科の治療構造についても言及した。まず各所で行われている検討会にある程度共通した固有の構造を、描出・図示した(「入れ子構造」)。そして1)
検討会の内では、スーパーバイザーが治療者と患者の関係をわかることが可能であるとする前提、2) 治療者の行為・思考は、検討会のような複雑な過程を経なければ、本当には認知されえないという考え方、3)
検討会の内では、一回性が基本である治療の場を、検討会の構成員全員で共有できるとの前提があることを指摘し、これらの無言の前提について詳細に吟味した。さらに、治療に関して治療者の主観が意味を持ちうるか、また多数集積された主観についても同様のことが言えるかについても検討した。その結果、検討会構成員が一旦納得し受け入れられた心的事実について自覚的であることの難しさ、また彼らがともすれば陥りやすい集団陶酔という危険が問題となることが明らかとなった。そこで、それらの問題点を回避するために、検討会そのものを検討・相対化する試みを具体的に提示した(「円環構造」)。つまるところ本論は、治療および検討会という双方の場においての相対化の試みである。
Key words: case-conference, case-study, psychotherapy, subjectivity, supervision
■連 載
〔私の治療法−人格障害(1)−〕
●精神医療と人格障害の治療・試論
林 直 樹
人格障害の治療は、通常の精神科治療と基本的に相違するものではない。但し、人格特徴への介入には、治療の前提となる協力関係の形成についての精神療法配慮、治療内外の問題行動に対する構え、治療関係を随時チェックすることの必要性、などに特徴があると考えられる。これはこの治療に、患者の同意・協力なしにはそのプライベートな領域に立ち入れないこと、人格障害の治療で治療目標が見失われやすいこと、といった特性があるからである。さらに本稿では、人格障害治療に適合すると考えられる治療モデルを、1)
適切な治療関係の規定、2) 関係形成的関与(“holding”など)、3) 人格特徴と捉えられる問題の同定、それに対する対応の考案・試行・改良、4) その対応の訓練と実生活における実践、5)
治療の中の医療的関与の側面、および6) 生活支援・相談的関与といった様々な関与のスタイルを治療段階を追いながら記述することによって提示することが試みられた。
Key words: personality disorder, medical ethics, individual psychotherapy