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星和書店
【書店フェア情報】

ランディ・クリーガー著作の新刊3点の発売に合わせ、下記書店さんにて“BPDって何?”フェア開催中です。お近くにお寄りの際はぜひお立ち寄り下さい。
・ジュンク堂書店新宿店 7F 人文書コーナー
・三省堂書店神保町本店 6F MBC精神医学コーナー
ランディ・クリーガー講演(9/15) & ワークショップ(9/17)

こころのマガジン
  今月の新刊 next

BPD(=境界性パーソナリティ障害)をもつ子どもの親へのアドバイス

両親が自分や家族を犠牲にすることなくBPDを持つ子を援助するために

この分野のバイブルといわれている書「境界性人格障=BPD」の著者が、BPDと診断された子どもの親250人の体験に基づいて、苦闘している親に理解しやすいアドバイスと希望を与えてくれる。

ランディ・クリーガー、C・ウィンクラー 著
荒井秀樹、佐藤美奈子 訳
定価
1,995円(本体1,900円)
A5判 並製 172頁 ISBN978-4-7911-0676-9 〔2008〕

BPD(=境界性パーソナリティ障害)をもつ子どもの親へのアドバイス

BPD(=境界性パーソナリティ障害)のABC

BPDを初めて学ぶ人のために

「境界性人格障害=BPD」の著者ランディ・クリーガーが、すべての人のために、BPDについて分かりやすく簡潔に解説。最新の知識を盛り込みながら短時間でやさしく読みこなすことが出来る。

ランディ・クリーガー、E・ガン 著
荒井秀樹、黒澤麻美 訳
定価
1,890円(本体1,800円)
四六判 並製 280頁 ISBN978-4-7911-0677-6 〔2008〕

BPD(=境界性パーソナリティ障害)のABC

愛した人がBPD(=境界性パーソナリティ障害)だった場合のアドバイス

精神的にも法的にもあなたを守るために

はれものにさわるように生活している人達に、虐待的な行動に直面している人達に、BPD(境界性パーソナリティ障害)を持つ人にどう対応すればいいのか。本書は、実践的アドバイスをお届けする。

ランディ・クリーガー、K・A・ウィリアム−ジュストセン 著
荒井秀樹、佐藤美奈子 訳
定価
2,310円(本体2,200円)
A5判 並製 264頁  ISBN978-4-7911-0675-2 〔2008〕

愛した人がBPD(=境界性パーソナリティ障害)だった場合のアドバイス
  雑誌の最新号 next
精神科治療学
定価 3,024
月刊 精神科治療学 第23巻8号

特集: 「軽いうつ」「軽い躁」― どう対応するか ― I I

うつ病の増加,うつ病の軽症化ということが言われてすでに久しい。この変化には「新たな抗うつ薬の登場」「社会の変化」「精神科臨床場面の変化」そして「文化の変容」など多くの要因が絡んでいると思われる。本特集は,そうした多要因が交錯しながら増加してきたうつ状態の中でも,特に「軽いうつ」と,それと関連して論じられることの多い「軽い躁」とに焦点を当て,その臨床上の意味と対応策を探ろうとする試みである。(「特集にあたって」より)

臨床精神薬理
定価 3,045
月刊 臨床精神薬理 第11巻9号

特集: 精神科薬物治療とアドヒアランス

近年、コンプライアンスにかわりアドヒアランスという概念が広まりを見せている。これは、治療において患者が医師の指示をどの程度守るか、という受動的な視点から、患者の主体的・積極的な治療参加をすすめる能動的な視点への転換といえる。本号では、精神科薬物治療におけるアドヒアランス向上のための治療指導の留意点、薬剤選択や投与法の工夫などを特集した。


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センスの裏に努力あり

今月末、当社から出版するご著書のなかで佐藤幸江先生がご感想を述べられています。「センスがいいですね」と、ご自分の治療をほめてくれる人がいても、釈然としないそうです。ご自分は治療がうまくいくようにものすごく努力している、徹底的に勉強して理論を自分のものにしているし、施設へ見学にも行き、どうすれば治療をよりよく出来るかとことん考えている、なのに「センス」という一言で片付けられたくはない、というご意見に、とても強く賛同させられました。

「センスがいい」というのは、かなりレベルの高いところでの褒め言葉なのかもしれません。努力以前にも、見えているものが人と違っているのかもしれません。同じものを見ていても、瞼の裏では、別世界をみているのかもしれないです。「センスがいい」という側は、その違いを感じていて、自分には無理だと半ば放棄し、あるいは単純にうらやましくも感じているのかもしれません。

確かに、尋常でない努力を天才といわれる人たちは、してきたはずです。スポーツなどでは、天才と言われるにいたった裏にはすごい練習量があったと、報道もされますし、周りから見ても分かりやすい。学問では、一見、椅子に座って、ただボーと外を見ている、だけのようにしか周りの人にみえない天才もいるでしょう。手足を動かしてはいなくても、きっと脳の中では、とことん考え抜き、思考をめぐらしています。

あるひとつのことに向かって、とことん努力できるというその能力が天才といわれる所以ではないでしょうか。私のような凡人は、どうしてと思えるほど、気が散ってしまいます。偉大な数学者の岡潔先生が、あるテーマをずっと考え抜いていると、考えているときには答えが出てこないが、そのことを考えていないあるときに、ふっとヒントが浮かんでくる、というようなことをご著書の中で書かれていました。佐藤幸江先生も、先生の「SSTの神様」は、パソコンに向かって原稿を書いている時などではなく、私鉄や地下鉄の中で降りてきてくれる、と書かれています。

努力に努力を重ねてきた人を、あの人は天才だから、と一言で済ませてしまっていいものでしょうか。自分では到底出来ないことをする人に対して、周りの人は、天才という言葉で、片付けたがっているように思えます。天才という一言で、努力していない自分を妙に納得させているのかもしれません。

子どもたちも、友達がいい成績をとり親からそのことを責められると、あいつは頭がいいから、何にもしなくても出来るんだよ、と言い訳をしたりします。友達がどのくらい努力しているかは知ろうともしない、いや、知ってしまうと、自分にとばっちりが来てしまうと、恐れているのかもしれません。

一生懸命に勉強したのに、失敗することもあるでしょう。これを周りに知られたくないから、また自分でも認識したくないから、勉強しなかったことにしてしまう。あるいは、勉強しないのに出来た、ということにしたいのか、失敗してもそれは勉強しなかったから、だとしたいのでしょうか。

ゴルフの場合、これが顕著に見られます。相手がゴルフ下手だとしても、そんなことどうでもいいことなのですが、このところ6ヶ月ほどクラブを握っていないのでご迷惑をおかけします、というようなことを言う人がたくさんいます。実際は、先週もゴルフに行ったし、前日にもしっかりと練習をしてきた人が、このように言います。練習しないでいいスコアをだし、自分は天才とほめてもらいたいからなのでしょうか。こんなに練習したのに、こんな失敗ばかりして、と自分でも思いたくないし、思われたくないからなのでしょうか。

ある目的があって、結果を出そうと努力するということもあるでしょうが、天才といわれる人は、興味のあることに対して努力する、いや当人は努力とも思っていず、好きなことを徹底してやっている、ということが多いのではないでしょうか。昆虫学者のファーブル博士は、偉い昆虫学者になろうと昆虫を観察したのではなく、また一儲けしようとか利益をだそうとかいう結果を期待して昆虫の観察をしたのではないと思います。厳しい家計の状態の中で、昆虫の観察を続けたと言われています。

ただ、努力さえすればそれでうまくいくかというと、そうでもないようです。才能がないと、花は開かないということもあるかもしれません。10の才能がある人が5の努力をすれば、10x5=50、3の才能がある人が10努力すれば 3x10=30という感じでしょうか。佐藤先生や天才といわれる人は、10∞x10∞=∞ なのではないでしょうか。ただ、努力を無限大にすれば、才能が1でも、1x10∞=∞になるのですから、やはり努力に勝るものはないのではないでしょうか。

私は、本当に自分には才能がないと実感しています。それだからこそ、自分は、出版業にとてもむいているのだと思っています。自分にはまったく才能がないから、かえって才能がある人に気づきます。私には、何もないから、周りから教えてもらえ、何でもたくさん吸収できるのではないか、と思っています。自分から何の光も出さないから、光のすべての色調を吸収する黒子に徹していられるのではないか、と開き直っています。

努力が結果を出さなくてもいいじゃないか、悪くはならないし、少しはよくはなっている、と思いながら、日々精進している昨今です。

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