星和書店
こころのマガジン
Vol.43 2006.8
  • 三省堂書店神田本店6F医学書コーナーにて、「わかりやすい精神医学」と題したミニフェアを9月上旬より行います。弊社商品の他、他社出版社も含めた、わかりやすい入門書を集めたフェアです。お近くにお寄りの際は、ぜひお立ち寄り下さい。(2006年8月)
  • 増刷
    お待たせいたしました!!『みんなで学ぶアスペルガー症候群と高機能自閉症』と『いやな気分よ、さようなら』が増刷されました。
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★ 自閉症と発達障害研究の進歩2006 Vol.10
特集:諸領域の最新の展望
高木隆郎、P.ハウリン、E.フォンボン 編
B5判 上製 480頁
自閉症と発達障害研究の進歩 2006/Vol.10 特集:諸領域の最新の展望
定価9,240円
このイヤーブックは第10巻をもって終刊となる。最新の国際的な自閉症研究を紹介してきたシリーズの最後にふさわしく、本巻では、近年に発表され今後しばらくは価値をもち続けるであろう13の展望論文、ラター、ショプラー、高木による歴史的な3論文、そして自閉症をめぐる内外の現状についての3論文を掲載する。分子遺伝学からサヴァンまで、著名な研究者たちによる優れた論文から、大きく裾野の広がった自閉症研究を一望できるであろう。1巻から10巻までの総目次を一挙掲載。

・2000/Vol.4 アスペルガー症候群 ・2003/Vol.7 実行機能
・2001/Vol.5 自閉症の治療 ・2004/Vol.8 コミュニケーション
・2002/Vol.6 早期診断 ・2005/Vol.9 転帰
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 近刊書籍 next
★ 〈気〉の心理臨床入門
 9月中旬発売予定
黒木賢一 著
四六判 上製 264頁
〈気〉の心理臨床入門
定価2,835円
西洋近代の臨床心理学は、こころと身体を分けてこころの構造とそのメカニズムを探求してきた。この心身二元論に影響を受けてきた私たちは、身体を置き去りにして、心理臨床を行ってきたのではないだろうか。臨床の場で、クライアントはこころの悩みを語ると共に、様々な身体症状を訴える。臨床家なら、誰もが身体の症状の訴えは姿を変えたこころの有りようであることを経験的に知っている。東洋思想には、自然の中に人が存在し、人の中に自然が存在するという「天人相関」の考え方や、こころと身体は一つであるという「心身一如」の視座がある
。筆者はこのような東洋の世界観から、西洋近代の二元論を超える新たな心理臨床を見いだすことの必要性を痛感している。東洋思想の奥に潜む「気」をキーワードに、自文化に根ざした心理臨床のあり方を試みた画期的な書。
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 雑誌の最新号 next
精神科治療学
定価3,024円
★ 月刊 精神科治療学 第21巻8号
【特集】攻撃性と衝動性の評価と治療 I
いわゆる「キレる」若者が社会的関心を惹いて久しいが,精神科臨床において,攻撃性と衝動性が重要な概念であることは論を待たない。精神疾患患者の攻撃性と衝動性に適切に対応するために,本特集ではその発生の仕組み,臨床的な危険性の評価,そして具体的な対処方法について詳しく取り上げた。
臨床精神薬理
定価3,045円
★ 月刊 臨床精神薬理 第9巻9号
【特集】精神科薬物療法の限界―そのときどうするか
精神科の治療において薬物療法は欠かせないが、万能の治療法でもない ことは事実である。統合失調症、うつ病、双極性障害など各疾患において、 薬剤を投与しても症状が改善しないその時、どう治療を工夫するか、 気鋭の専門家が執筆した。
★ 臨床精神病理 27巻2号
定価4,830円
「日本精神病理学会」より「日本精神病理・精神療法学会」と改名した昨年 第28回東京大会のシンポジウム、ならびに特別寄稿などを掲載。
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トゥレット症候群(チック)とともにトゥレット症候群を理解し、共に生きるためのヒント

うつと感じたらうつの症状を自分自身で治療、克服するために役立つガイドブックを紹介します。

境界例・ボーダーラインに悩む人たち 患者の身近にいる方たちが少しでも平穏な日常を取り戻せるための関連書を紹介します。

ウチの子は? 発達障害と子ども発達障害をわかりやすく理解できる本のご紹介です。

季刊 こころのりんしょうa・la・carte
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無理、無理難題、無理すれば、

 出版社をやっていると、言葉の使い方に敏感になります。皆さんが気にならないようなことでも、気になってしまうことがあります。最近、若い人たちが、「むり」と言っているのをよく耳にします。何かをたのまれると、「無理」と独特なイントネーションで言います。紋切り型の言い方です。この「無理」は、できないということを言っているようです。例えば「明日10時に来てもらえますか」とお願いすると、「無理」という言葉が返ってくることがあります。そういう時、「ああそう、無理すればこれるということね」と言い返してみます。

 私たちが無理という言葉を使うときは、「ご無理言ってすいませんが、・・・」、「ご無理とは存じますが、お願いできますか」、「無理難題かとは思いますが、何とかがんばってください」というように、できないというより、できるとか、やってみるという方向で使うことが多いように思います。

 では、何で「できません」「やりたくありません」の代わりに「無理」と答える人が多いのでしょうか。はやり言葉といえばそれまでですが、「できないことは私のせいではない」と言いたいのかもしれません。やりたくないこと、できないこと、は、自分のせいではないのですよ。私はそれに責任はありませんよ。それは、「無理」なんです。だからできなくて当たり前なのです。ということでしょうか。

 最近、新聞の紙上に「うつ」の話題が頻繁に載っています。責任感の強い人は、できないことで自分を責めてしまうことがあるようです。そうすると、うつ的になることもあります。自分がいけなかったから、こうなってしまったのだ、というように、自己責任感が強すぎて、いやな気分になってしまうことがあります。こういうことから考えると、「無理」的発言は、抗うつ対処法なのかもしれません。

 有名な作家の家で、原稿を書いてくださいと見張っている編集者、その編集者の目をぬすんで外出する有名作家、という場面が、昔はよくテレビ放映に出てきました。今でも先生方から期日までにお原稿をいただきたいというのが、編集者の切なる願いです。「先生、何とか明日までにお原稿をいただけませんでしょうか」とお願いすると、「わるいわるい、ちょっと急患がでて、手が離せなくなって、これからがんばるから、もう一日まってくれる」というようなお答えを通常いただきます。もしこのとき一言「無理」というご返事をいただいたとしたら、どう解釈したらいいのでしょうか。


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