無理、無理難題、無理すれば、
出版社をやっていると、言葉の使い方に敏感になります。皆さんが気にならないようなことでも、気になってしまうことがあります。最近、若い人たちが、「むり」と言っているのをよく耳にします。何かをたのまれると、「無理」と独特なイントネーションで言います。紋切り型の言い方です。この「無理」は、できないということを言っているようです。例えば「明日10時に来てもらえますか」とお願いすると、「無理」という言葉が返ってくることがあります。そういう時、「ああそう、無理すればこれるということね」と言い返してみます。
私たちが無理という言葉を使うときは、「ご無理言ってすいませんが、・・・」、「ご無理とは存じますが、お願いできますか」、「無理難題かとは思いますが、何とかがんばってください」というように、できないというより、できるとか、やってみるという方向で使うことが多いように思います。
では、何で「できません」「やりたくありません」の代わりに「無理」と答える人が多いのでしょうか。はやり言葉といえばそれまでですが、「できないことは私のせいではない」と言いたいのかもしれません。やりたくないこと、できないこと、は、自分のせいではないのですよ。私はそれに責任はありませんよ。それは、「無理」なんです。だからできなくて当たり前なのです。ということでしょうか。
最近、新聞の紙上に「うつ」の話題が頻繁に載っています。責任感の強い人は、できないことで自分を責めてしまうことがあるようです。そうすると、うつ的になることもあります。自分がいけなかったから、こうなってしまったのだ、というように、自己責任感が強すぎて、いやな気分になってしまうことがあります。こういうことから考えると、「無理」的発言は、抗うつ対処法なのかもしれません。
有名な作家の家で、原稿を書いてくださいと見張っている編集者、その編集者の目をぬすんで外出する有名作家、という場面が、昔はよくテレビ放映に出てきました。今でも先生方から期日までにお原稿をいただきたいというのが、編集者の切なる願いです。「先生、何とか明日までにお原稿をいただけませんでしょうか」とお願いすると、「わるいわるい、ちょっと急患がでて、手が離せなくなって、これからがんばるから、もう一日まってくれる」というようなお答えを通常いただきます。もしこのとき一言「無理」というご返事をいただいたとしたら、どう解釈したらいいのでしょうか。
|