Anorexiaは自動車とともに始まった?
西園マーハ文
「思春期は蒸気機関車とともに始まった」というフレーズがあります。最初この言葉を聞いた時、私は、産業革命が始まり蒸気機関車を作る時代になると、技術面で学ぶことが増えて、大人になる前段階で学校に行ったりしなくてはいけなくなったということだろうと思いました。しかし、この表現の出典である英国の心理学者マスグローブの本を確認すると、「蒸気機関車と思春期は同じ時期に作られ、それぞれのarchitect(建造者)は、前者はワットで1765年、後者はルソーで1762年」という表現になっていました。1762年は『エミール』が出版された年です。思春期の実態というより、概念が作られたことを重視し、また、普通は並べない2つの物を並置することにより、それらの物、その時代の意味を知るという興味深い発想です。日本史年表と世界史年表を並べて、「この2つが同時代に!」という驚きを誘う趣向の本を見たことがありますが、それと似た面白さです。
この観点でanorexia nervosaに何か並べるものはないだろうか、と思っていた時、1870年代くらいから、車の個人所有が始まったというような記述に遭遇しました。William Gullがanorexia nervosaという疾患の記述を始めたのが1868年以降です。Anorexia nervosaは自動車とともに始まった、というのは良い並置法ではないだろうかと思いつきました(西園2015)。ここでは、車carではなく、自分で動くという意味のautomobileという言葉の方を使っておきたいと思います。なぜなら、時刻表などを気にせず、自分が行きたいときに行きたいところに行く、という個人の願望がかなえられるのが自動車で、このことが拒食症の始まりと並べるのにふさわしいのではないかと思うからです。自分の身体を使わなくてもどこにでも行けるというのは、身体感覚が薄らいでいく時代の始まりとも言えるでしょう。また、自動車と広告業界は密接な関係があり、広告を見て「あの車が欲しい」という願望が煽られるのは、ファッションモデルの影響を受ける拒食症およびその予備軍の心性と類似性があるようにも思われます。また、今、拒食症の多い国でクルマ社会でない国はないとも言えます。もちろん、anorexiaに他の言葉を並置することもできます。何か言葉を並べて、この病気の意外な側面を探してみるのも良いかもしれません。
次に、bulimia nervosaには何を並べるかを考えてみました。Bulimiaという言葉が医学雑誌で初めて取り上げられたのは、1979年Russellによる“Bulimia nervosa: An ominous variant of anorexia nervosa”(神経性過食症:神経性やせ症の不吉な異型)という論文です。Ominousという、医学論文としてはいささか不穏な言葉が使われていることもあって、よく知られています。1979年の出来事を検索すると、なぜか一番目に「第一回大学共通一次試験」が出てきました。この年の受験生だった私は、飛行機の航路の真下にあって時折建物全体が振動する試験会場で、慣れないマークシートを塗りつぶした日のことを突然思い出しました。でも、共通一次試験と並べているのは、日本の患者さんには興味深い並置法ですが、世界的現象であるbulimiaと日本の共通一次試験を並べるのは、いまひとつインパクトが小さいかもしれません。そこで、この時期の世界の出来事を探すと、この時期にパーソナルコンピュータが普及し始めたような記事がありました。「Bulimiaはパソコンとともに始まった」というのは良い並置法ではないでしょうか。個人の生活のデジタル化が始まり、情報は削除したりリセットしたりするものになりました。デジタル体重計で体重を細かく量り、100gでも増えたら吐いてその場でリセット、というようなメンタリティーは、アナログ時代にはなじまない考えだったのではないでしょうか。いささか、こじつけ的ではありますが、コンピュータが普及していなければ、コンビニなどもなかっただろうと考えると、パソコンのない社会の過食症は考えにくい気もします。
私が共通一次を受けた会場は、試験を約10年さかのぼる1968年には、建築中の「大型電算機センター」に米軍の飛行機が墜落したという事件が起きた場所でもあります。「電算機」なるものは特別の場所に置かれていた時代だったのが、コンピュータが拡散したからこそ、マークシート試験も可能になったわけでしょうから、共通一次試験も、デジタル時代の到来を表す現象であったのでしょう。
「自動」に「パーソナル」、摂食障害は、個人主義の追求の行き止まり地点のような疾患なのかもしれません。病気の発生を面白がるのは不謹慎のようではありますが、マスグローブの手法を使って皆さんも疾患の意味を探ってみてください。
参考:
・Musgrove F: Youth and social order. Indiana University Press Bloomington,1965
・Russel G:Bulimia nervosa: An ominous variant of anorexia nervosa. Psychol Med 9 : 429-48,1979
・西園マーハ文: 摂食障害と思春期. 子ども学 3:42-54,2015
西園マーハ文(にしぞの まーは あや)
福岡県出身。1985年,九州大学医学部卒業。その後,慶應義塾大学精神神経科で研修,同大学大学院修了。1986年,英国エジンバラ大学卒後研修コースに在籍し,Cullen Centre(認知行動療法センター)で,摂食障害治療の取り組みに感銘を受ける。慶應義塾大学精神神経科助手,1998年より東京都精神医学総合研究所勤務を経て,2013年より白梅学園大学教授。著書に『過食症の症状コントロールワークブック』『過食症短期入院治療プログラム』(編著),『摂食障害:見る読むクリニック』(共著)(以上,星和書店刊)などがある。
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