勇気と覚悟とカブトムシと
大月 友
私には3つの顔があります。1つ目は、科学者として大学で研究・教育に携わる研究者の顔、2つ目は、セラピストとしてクライエントさんに向き合う臨床家の顔、そして、3つ目は、父親として家族と過ごすイクメンの顔です。今回コラム執筆の機会を頂いたので、普段はあまり表に出さない3つ目の顔で自分の体験談を書いてみることにしました。
現在、我が家は二人の男の子の子育てに奔走しています。ある日、自分の苦手にしていることが思わぬところで子育ての“壁”になることに気づかされました。実は、私は“虫”が好きではありません。海沿いの埋立地で育った自分には、幼少期に昆虫採集をした記憶もなく、昆虫の王道であるカブトムシも見たことがありませんでした。カブトムシを飼っている友達もいませんでした。そんな私にとって、カブトムシは触ったこともないただの大きな“虫”で、決して好きなものではありませんでした。
ところが、我が家の長男は幼稚園の頃から昆虫に興味を持ちだしました。幼稚園で虫博士と呼ばれていたほどです。昆虫の図鑑をよく読み、特にカブトムシが大好きで、世界中のカブトムシが戦うDVDをいつも観ていました。私としては何が良いのかよく分かりませんでしたが、息子がそこまで好きと言うならと、ある夏休みに昆虫展とやらに連れて行くことにしました。昆虫展というのは、いろいろなカブトムシが展示されていたり、触れたりできる、夏休みによくある子ども向けイベントです。
会場に到着し、内心「虫を見るためにお金を払うなんて……」と思いつつも、息子が喜ぶならと思いチケットを購入しました。そして中に入り、世界中のカブトムシを見て回り、最後に、目玉企画であるカブトムシと触れ合えるコーナーにたどり着きました。それがどんなコーナーかと言うと、2?3m四方くらいのネットに囲まれている小屋があって、その中に人が入れるようになっており、中には天井側のネットにも壁側のネットにも、床に設置されている丸太の上にも、いたるところにカブトムシが大量にひっついているというものでした。このなんとも言えない空間の中で、カブトムシと心ゆくまで触れ合えるようになっていたのです。私はあまり気が進みませんでしたが、とりあえず息子と二人で入ってみました。すると、自分の中である感情が生まれていることにはっきりと気づきました。そう、“恐怖心”です。触ったこともない黒くて大きな“虫”に囲まれ、情けない話ですが怖くて怖くて仕方なくなりました。そして、すぐにその小屋から出てきてしまいました(息子を置き去りにして!)。自分にとって、カブトムシは“好きではない”どころではなく、“怖い”存在だったんだと自覚しました。すると、息子も後を追って外に出てきてしまいました。息子が「なんで出ちゃうの? 入ろうよ」と言ってきたので、私は「一人で入っておいで」と言いました。しかし、息子が「一人で中にいるのは怖いから一緒に入って」とせがんでくるではありませんか。大好きなカブトムシではあるものの、初めて触れるということもあって、まだ小さい息子には少し怖かったようです。
さて、どうしたものか……。困りました。父親としては、息子の好奇心を伸ばして、いろいろな経験をさせてやりたいものです。そして、息子の笑顔が見れたら幸せです。とは言え、はっきり言って怖い……。今まで“虫”が怖いということで、特に困ることはなかったのですが、子育てという文脈に自分が置かれたところ、この感情は厄介な問題となってしまいました。カブトムシに対する恐怖心のせいで、自分が大切にしたいと思っていることからも逃げ出してしまいそうです。
そんな時、自分の1つ目の顔(研究者)と2つ目の顔(臨床家)で取り組んでいる、アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)が頭に浮かびました。ACTは、大切にしたい自分にとっての生き方に沿って行動していくために、難しい感情や気持ちと上手く付き合っていくための方法を学んでいきます。ACTでは“上手く付き合う”というのは、感情や気持ちをコントロールすることではなく、その気持ちとともにアクションを起こすためのコツを身につけることです。この時の私の選択は、恐怖心がありながらも、“勇気”と“覚悟”を持ってそれを受け入れ、今、この瞬間しか味わえない息子との体験を豊かにするための行動をとることでした。カブトムシくらいで何が“勇気”と“覚悟”だと言われてしまいそうですが(笑)。それでもその時の私にとっては、この言葉がしっくりくるような気がしています。
あれから数年経ち、素晴らしい仲間とともに若者向けのACTのワークブックを監訳し、『セラピストが10代のあなたにすすめるACTワークブック』として出版することができました。自分が大切にしたい価値を見つめ直し、それに沿って生きていくためには何が必要かを考え、壁となる感情や気持ちに邪魔されないコツを身につける。そのための練習ができるようなワークブックです。
さて、現在、私のカブトムシ恐怖はどうなったのでしょうか。今も相変わらず怖いと感じることはありますが、自宅周辺に樹液場をいくつか見つけ出し、今年の夏は長男と何回も観察したり採りに行ったりして、家でも3つの昆虫ケースを駆使して飼育しています。カブトムシ自体は今でもやはり好きではありませんが、息子といろいろなことを体験する時間は何より大切です。来年の夏には、今は1歳の次男も連れて家族みんなで行けそうです。
大月 友(おおつき とむ)
早稲田大学人間科学学術院准教授。
千葉県生まれ。臨床心理士。筑波大学第二学群人間学類卒業、新潟大学大学院教育学研究科修了、広島国際大学大学院総合人間科学研究科修了。
『セラピストが10代のあなたにすすめるACTワークブック』ほか、アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)関連の翻訳書多数。
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