双極性障害と日常性の回復
大賀健太郎
『双極性障害の対人関係社会リズム療法:臨床家とクライアントのための実践ガイド』は、睡眠研究で有名な米国ピッツバーグ大学で臨床心理士として、気分障害の臨床と研究に長年関わってこられたエレン・フランク博士が考案された双極性障害に対する心理社会的介入法であるInterpersonal Social Rhythm Therapy(IPSRT)の本格的な解説書です。私は10年前、双極性障害の治療に苦労していた時期に原著1)を読み翻訳の必要性を痛感し、日本大学医学部精神医学系主任教授の内山真教授に、ピッツバーグ大学医学部のティモシー・モンク教授を通じてエレン・フランク博士に連絡をとっていただき本書の翻訳を始めました。本書の豊富な事例がフランク博士の臨床経験の深さを物語っています。薬物療法を中心に双極性障害について学んできた頭でっかちのわれわれ精神科医とは異なり、臨床心理士として生活を重視した視点で関わってこられた経験がもとになってIPSRT は生み出されたのだと思います。
私は、双極性障害の初期症状として、思考と感情と行動が一致しなくなる解離が起こることを原著1)の症例を読んで初めて知りました。大学の保健室で校医をやっている私の経験から推察すると、高校から大学に進学して、一人暮らしをはじめた学生が、5月の連休明けに精神的な不調をきたす病態の一部には、このことが影響しているかもしれません。ある女子学生は、「勉強を始めようとしても気持ちがなかなかのってこない」「友達とおしゃべりをする時にタイミングを合わせることができなくなってしまった」ことを苦にされていました。高校までは、学校でも家でも毎日のスケジュール、一週間のスケジュールが固定しています。ところが、大学では、履修登録した授業によって、始業の時間がまちまちになるため、起床の時間もばらばらになり、またアルバイトで夜遅く帰宅する例もあり、一人暮らしのために食事をとる時間も回数も日によって変わってくることもあります。社会人では、交代制勤務やパート勤務で同じような生活リズムの不規則化が起こります。このような環境の変化を契機にもともと脆弱性のある人では、知情意の解離が起こり気分障害を発症することになります。朝覚醒しても、身体が思うように動かず、テンションも上がらない、逆に夕方から突然、気持ちが失速し、判断力が落ちて、衝動的になり過食や自傷行為が出現するといったことが起こります。一度歯車がずれてしまうと、いままであたりまえのようにやっていたことができなくなり、回復まで数年を要することがあります。本書では、たくさんに事例に即してIPSRT の治療者が、社会生活リズムを安定化させるための具体的なアドバイスを行い、患者さんの試行錯誤に寄り添っていく様子が描かれています。
タイミングが合わないことで、人間関係で誤解が生じたり、摩擦が生じたり、破綻をきたすことがあります。マイペースだったり、頑固だったり、主導権を争ったりするために、自己中心的で傲慢な人間と誤解され社会的に孤立してしまうこともあります。これらの対人関係の齟齬を認知行動療法的に解きほぐし、病気によって失われたものについてモーニングワークを行っていくのが対人関係療法です。対人関係療法については、水島広子先生が第一人者で、私もセミナーに参加しました。
双極性障害の治療で精神科医が最も苦労するのが、躁うつ混合状態です。通常のうつ状態や躁状態では思考と感情と行動のベクトルが一致していて、憂うつな時には、頭が働かず、何事も億劫になるのに対して、爽快気分に伴い頭の回転が速くなり、行動が速くなるのが一般的です。ところが、混合状態では、知情意の歯車が噛み合わなくなるのです。原著1)に出会った10年前私は、大人のADHDに躁うつ混合状態を合併した30代の女性の治療に苦労していました2)。
もともとは、大変明るく、社交的な人でしたが、睡眠時間が短縮し多弁多動になり、人が変わったようになり、急に笑ったり大声を出したり、過食になる日が数日続いた後、急に気分が塞ぎ身体を動かすことができなくなり、数日間寝込んでいたと思うと、罪業妄想にとらわれ自殺未遂で入退院を数回繰り返していました。状態が急激に変化し、また予測がつかないために従来の症状をターゲットにした薬物療法だけでは、いたちごっこで、次第に多錠併用処方になっていきました。
以前より双極性障害の生物学的脆弱性として、睡眠障害が注目されており、Van Somerenらが、双極性障害の高リスク群では低リスク群比べて、日常生活リズムや社会生活リズムが減弱しやすいことを証明し、BenBullockらは、日常生活リズムの不安定さは双極性障害の生物学的指標ではないかと考えました。
そこで私は、Van Someren博士の論文にならって、患者さんに体動計を装着してもらい、睡眠衛生教育を行いながら気分安定薬を中心とした処方に整理していきました。激しい衝動行為はなくなったものの、歯車が噛み合わない状態は改善せず、患者さんは、1年以上だらだらした生活を続けて苦しんでいました。
このときこの原著1)を読み、ティモシー・モンク教授が考案されたSocial Rhythm Metric (SRM)を使いながら、意欲を高める目的で、いままで妄想を抑える目的で使ってきた非定型抗精神病薬をアリピプラゾールという新薬に置き換えたところ、患者さんの起床時間が一定になり、歯車が噛み合うようになり、規則正しい生活を送れるようになりました3)。患者さんの生活態度に変化があらわれ、「朝起きれるようになってデイケアに行き、生活の枠組みができた」「思いつきで家事をすることが少なくなり、主婦だからコツコツと家事をこなそうという自覚がある程度出てきた」「予想をはずれても大きく動揺したり、被害的になることは少なくなった」と言われていました。患者さんは気分が安定して、生まれてはじめて、等身大の自分を見出せるようになったのです。症状をなくすという治療から日常生活を回していけるように環境を調整することで、再発を予防することができるようになったのです。
以上、『双極性障害の対人関係社会リズム療法:臨床家とクライアントのための実践ガイド』について主観的に紹介してきましたが、本書の監訳者あとがきで阿部又一郎先生が客観的な解説をしていますので、そちらもご参照ください。
文献
1)Frank E : Treating Bipolar Disorder : A Clinician's Guide to Interpersonal and Social Rhythm Therapy. Guilford Pr, New York, 2005.
2)大賀健太郎,遠藤拓郎,内山真 ほか:成人期のAD/HD にみられた躁うつ混合状態にバルプロ酸ナトリウムの併用が有効であった1例.Bipolar Disorder 5,p64-73,アルタ出版,2007年5月.
3)大賀健太郎,遠藤拓郎,内山真 ほか:成人のAD/HD に合併した双極性うつ病相にアリピプラゾールが奏功した1例.Bipolar Disorder 6,p70-77,アルタ出版,2008年5月.
大賀健太郎(おおが けんたろう)
順天堂大学医学部卒業、同大学附属病院内科研修医、L.ビンスワンガー著「精神分裂病」の症例エレン・ウエストを読み上智大学文学部哲学科に編入し、ハイデガー哲学を学ぶ。日本大学医学部勤務を経て、2015年より東雲メンタルヘルス研究室室長。日本大学医学部兼任講師。
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