女優と足音となんとなく
愛仁会高槻病院精神科
杉林 稔
先日目にとまった新聞記事(朝日新聞夕刊2015.5.21.)で、女優の白石加代子さん(もう73歳!)が、役を演じることについて、次のようなことを言っていました。
「なりきる」というのとは違うと思います。客観化できるといいのよね。舞台上の様々な行動を、ちょっと一歩引いて、操縦できるようになるといいのね。没入感情になって、変な所に落ち込まないように自分で整理して、道を作ってやる。今は舞台の上で、楽しいことさえある。「自我」のようなものがあると不自由になるけれど、その取り外しが上手になったと思うの。
(中略)
蜷川さんは、大きな世界観を示すのが得意な方ですよね。稽古は大抵初日から、本番通りの装置で始めるんです。役者たちは、ともかくセリフを入れて、その日から彼が作った「宇宙」に溶け込めるように努力をする。
取り外し、溶け込む。さりげなく使われている言葉だけれど、実感がこもっていて、白石さんのようなプロの女優が生きている世界が率直に伝わってきます。
話はぐっと卑近になりますが、最近私は星和書店から『精神科臨床の足音』という著書を出させていただきました。2009年から2013年までの間に書きためた論文やエッセイをまとめたものです。いろいろな雑誌に発表したものなのでテーマやスタイルはかなりばらばらです。それでも文章全体にいい意味での臨床感覚が響いているといいな、と願っています。
ところでそもそも臨床感覚って何でしょう。考えてみると難しいですよね。若い頃にはそのような感覚はあまりよくわからず、勉強して身につけた知識をフルに活用しながらやっていたのですが、30年近く臨床をしておりますとそれなりに経験も豊富になり、新しく出てくる学説や治療法にはあまり飛びつかなくなり、自身の中に培われた不思議な方向感覚とでもいいましょうか、勝負勘といいましょうか、そういう言葉にならない直観的なものに一番の信を置いて、何かに導かれるようにしながら日々の臨床場面でのさまざまな判断や行動を繰り出すようになっています。それは先に引用した白石さんの女優としての舞台の上での感覚と共通するように思われます。
本の表紙はどう思われました? 実は表紙のイラストは現在芸大の学生である私の娘が描いたものです。親バカ以外のなにものでもありませんが、娘の描いたイラストが私の本の表紙を飾っているというのは、なんともうれしいものです。けれど娘は本の内容には興味はありません。
「お父さんの本の表紙に使えるようなイラストはないか」と聞くと、娘は20枚ほどのイラストを持ってきました。どれも大学で出された課題に応じて描かれたものでした。一瞥して、ちょっと無理な話だったかな、と思ったのですが、ふと長靴をはいた足の周囲に0、1、2、3という数字が飛んでいるイラストが目に止まりました。素人の落書きのような稚拙な絵ですが、なんとなく味がある。この「なんとなく」の感覚を信じて採用することにしました。
編集作業も大詰めを迎えた頃、本のタイトルが気になりました。それまでは『私を希望に調律する』としていましたが、ふと「足音」という言葉が私に届いたのでした。その時、私はこのイラストのことが頭の片隅にあったのだろうと思います。その後プロの方が娘のイラストを取り入れた表紙全体のデザインを作ってくださいました。明るくポップな表紙にしたい、という私の要望が十分叶えられていました。ともすれば暗い表紙が多い精神科の本の中で、今回の表紙は明るくさわやかで、音楽的な雰囲気もあります。書店の店員さんから「表紙を見せて並べると書棚が明るくなっていい」と好評をいただいているとも聞きました。嬉しい限りですが、著者としては「で、中身はいかが?」と聞いてみたくなります。
最近になって娘が「足音って、あのイラストを見て思いついたの?」と聞いてきました。
私「うんまあ…そうかな」
娘「あのイラスト、足音をイメージして描いたんや」
私「へえ、そうなんや」
娘「そうや」
私「…」
娘「…」
父と娘の会話はこれ以上広がることはありませんでした。
何かを「取り外し」、どこかに「溶け込む」ことをこれからも続けていきたいと思っています。
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