登山と認知行動療法とマインドフルネス
千葉大学 大学院医学研究院 認知行動生理学 田中麻里
酒の勢いとは恐ろしいもので、山好きの友人との居酒屋での何気ない会話が、予期せぬほどに盛り上がり、これまでアウトドア派でも何でもなく、「日焼けは嫌」「虫も爬虫類もダメ」「3K(きつい、汚い、危険)は苦手」だった私が、なぜか今夏から登山を始めることになりました。
しかも、普通なら、初心者の山ガールならぬ山ウーマンらしく、低い山でのトレッキングぐらいから体を慣らすところですが、これまた酒の勢いで、いきなり標高1000m台のセミプロ級から始めることになり、しらふに戻ってから、事の重大さに動揺するという始末…。
しかしながら、終わってみると、山の素晴らしさは想像以上で、奇しくも、私の専門である認知行動療法や、訳させていただいたマインドフルネスの効果を実感するものとなりました。今日は、そのお話をしたいと思います。
私たちが最初に登った山は、急勾配と平地を繰り返す形状で、最初の急勾配では、息が苦しくなるほどのきつさで、パニック障害のような「うわぁ、どうしよう! 無理だよ! 死んじゃうよ!」という自動思考に伴う不安点数が100点近くはあったと思います。ですが、1時間ほど行ったところで平地となり、2回目の急勾配では、きつさに馴化したのか、直前の経験から「このきつさも、いつかは終わる」という認知が働いたのか、点数は20点以下にぐっと下がり、めでたく認知行動療法の「不安低減理論」が証明される結果となりました。
また、私は、過去に、母の友人で、私もとてもお世話になった方を山の事故で失くしています。そのため、私が登山をするにあたって恐れていた最悪のシナリオは、彼女が亡くなった経緯から「手すりのない橋で足を滑らせ、岩場で頭を打って死亡する」というものだったのですが、下りの道中でまるでその場面を再現するような箇所が現れ、しかも、予定外の夕立で足元はぬかるんでいたのです。
その時の私は、正しく教科書通りのFight or Flight(戦うか、逃げるか)状態だったと思いますが、当然ながら、山ですから、逃げるという選択肢はありません。そこで、不安障害の治療で用いられる「暴露反応妨害法」のお世話になることにし、「こんなところで死んでたまるか!」と、私の中の戦闘スイッチをオンにして、目の前の、文字通り「足のすくむような」恐怖に挑みました。すると、無事に橋を渡り終えた時、ドーパミンなのかアドレナリンなのかわかりませんが、頭の中で様々な脳内物質がプチプチと分泌されているのではないかというような快感と高揚感を味わい、あの恐怖は一体何だったんだと思えるまでになったのです。意外にワイルドな自分の一面を垣間見たこの出来事から、これまで恐れていたものは、実は実体のない幻想だったということが分かり、私自身の体験として、「暴露反応妨害法」の効果が実証されたという訳です。
そして、特に岩場など危ない箇所を歩いている時は、マインドフルであるか、そうでないかで、明らかに体の感覚と得られる結果が違うことも分かりました。「もう嫌だ」とか「早く終わってくれ」とか「滑落して死んじゃったらどうしよう。お母さん、ごめんなさい」などの自動思考や、脅威的解釈に注意を奪われている時は、道のりが途方もなく長く感じられ、疲労は激しく、本当に滑りそうになります。一方、マインドフルに呼吸に意識を向け、無心で一歩一歩を踏みしめていると、体は軽く、心も軽く、気づいたら悪い道は終わっているのです。それこそが、マインドフルネスでいうところの「今ここ、この瞬間の完全さ」と言えるのかもしれません。
さらに、「疲れたら休む。休んで元気になる。お腹が空いたら食べる。食べて元気になる」という原始人のような行動は、高度情報化社会で生きる者には、なかなか新鮮なものです。もちろん、登っている時の腿の「プルプル」や、下っている時の膝の「ガクガク」は、そろそろ無理がきかなくなるアラフォーの体には厳しく、その後3日間は全身筋肉痛なのですが、山頂で味わう達成感や、澄んだ空気の美味しさ、刻々と変わる景色の美しさは、そのような肉体的な疲れを上回って余りあるものです。
そういう意味では、山の雄大な自然に触れると、私たちは一人の人間である前に一匹の動物であるということに気づかされ、実は、物事は思考で複雑化させず、シンプルに捉えた方がうまくいくということを教えられます。そして、それは私たちが行っている認知行動療法やマインドフルネスが目指すところでもあると思います。
折しも、秋の行楽シーズンですね。お弁当を持って、お近くの山に出かけてみてはいかがでしょうか?
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